はやみ ぎょしゅう
速水 御舟
1894-1935

はやみ ぎょしゅう
Gyoshu Hayami

年譜Biography

速水 御舟
1894-1935

はやみ ぎょしゅう
Gyoshu Hayami

明治27年(1894)0歳 蒔田良三郎、いとの次男として東京浅草に生まれる。本名栄一。
明治41年(1908)14歳 松本楓湖の安雅堂画塾に入門。
明治42年(1909)15歳 母方の祖母速水きくの養子となる。師楓湖より雅号「禾湖(かこ)」を授かる。
明治44年(1911)17歳 安雅堂画塾の同輩、牛田鶏村の紹介で今村紫紅と出会い紅児会に入会。後に義兄となる吉田幸三郎と知り合う。
大正3年(1914)20歳 俵屋宗達の《源氏物語関屋澪標図》に感激し雅号を「御舟」に改める。再興第1回院展に《近郊(紙すき場)》を出品し院友推挙。今村紫紅、牛田鶏村、小茂田青樹らと赤曜会結成。
大正6年(1917)23歳 京都市寺町大雲院の塔頭信養院に仮寓、その後京都市清水坂上にある大倉孫兵衛(姉好の姻戚であり大倉陶園の創業者)の別邸に移り込む。再興第4回院展に《洛外六題》出品。横山大観らの激賞を受け同人推挙。
大正7年(1918)24歳 洛北修学院村の林丘寺内にある雲母庵に移り住む。《洛北修学院村》(再興第5回院展)
大正8年(1919)25歳 浅草駒形で電車に轢かれ左脚を切断する。京都木屋町で舞妓を写生する。
大正9年(1920)26歳 この頃より静物画に集中的に取り組む。デュ―ラーや宋元院体花鳥画に強い関心を持つ。再興第7回院展に超絶写実の《京の舞妓》を出品し波紋を呼ぶ。
大正10年(1921)27歳 吉田幸二郎の妹、彌と結婚。結婚の引き出物として宋元院体画風の細密描写による静物画連作を制作する。
大正12年(1923)29歳 武蔵野野火止の平林寺に仮寓。制作の傍ら参禅修行する。岸田劉生と出会い意気投合する。
大正14年(1925)31歳 軽井沢での取材をもとに《炎舞》(重要文化財)を制作し第1回個展に出品。
昭和4年(1929)35歳 《名樹散椿》(再興第16回院展・重要文化財)制作。
昭和5年(1930)36歳 イタリア政府主催・ローマ日本美術展の美術使節として渡欧。ヨーロッパ及びエジプトを廻り帰国。イタリア政府よりオクイシュー・クーロンヌ勲章を受章。
昭和6年(1931)37歳 弟子の高橋周桑がかつて参禅した野火止平林寺の梅枝を持参、これを写生する。
昭和7年(1932)38歳 《瓶梅図》制作。《花ノ傍》(再興第19回院展)制作。
昭和10年(1935)40歳 腸チフスに罹患、3月20日逝去。享年40。