November 17, 2017

秋の散歩。~都会の真ん中「新宿御苑」より~


 秋も深まり、太陽の日差しがないと一段と寒さが増す今日この頃、年末へ向けて日々の生活も身が引き締まる思いです。皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 さて、私はこの週末、都会のオアシス「新宿御苑」を散策してきました。「新宿御苑」が誕生したのは明治39年(1906年)のこと。当初は皇室の庭園として造られましたが、戦後の環境庁発足に伴い一般開放されました。日本初の近代西洋式庭園として以後の庭園造成に大きな影響を与えた、由緒ある国立公園です。

 当日はあいにくの空模様で小雨がぱらついていましたが、ツワブキの花壇から漂う香りが私を出迎えてくれました。

①香るツワブキの花.jpg
香るツワブキの花


 続きまして、日本庭園エリア内の写真です。奥に見える旧御涼亭(きゅうごりょうてい)。水辺からの景色や涼しさ、休憩を楽しむことのできるこの建物は、昭和天皇が皇太子であられたときに、そのご成婚記念に台湾在中の日本人が贈ったものだそうで、中国建築の風貌が不思議と落ち着いた印象を与えてくれます。

②日本庭園.jpg
日本庭園


 予想どおり葉は色づき、赤や黄色の美しい紅葉の壮大なこと。広大な敷地と、迫力の樹齢に圧倒されることもしばしば。

③赤い紅葉.jpg
赤い紅葉


④大きなイチョウの木.jpg
大きなイチョウの木


 フランス式整形庭園というエリアでは、左右対称のプラタナス並木が色づき、ベンチの佇まいなど、まるで外国を散歩しているかのような景色が広がっていました。「新宿御苑」という大きな公園の中で、様々な表情を見せてくれます。

⑤フランス式整形庭園.jpg
フランス式整形庭園


 その傍には「バラ花壇」がありました。バラは一年中咲いているとは聞いたことがありますが、様々な品種が豊富に彩り、元気に花を咲かせていました。

⑥ピンクのバラ.jpg
ピンクのバラ


⑦黄色いバラ.jpg
黄色いバラ


⑧白いバラ.jpg
白いバラ


⑨濃赤のバラ.jpg
濃赤のバラ


 そろそろ歩き疲れて帰路につこうと思ったら、遠くで何やら賑わっている人だかりが。近づいてみると、なんと桜の花が開花していました。ジュウガツザクラ=十月桜という名のとおり、この季節に開花する桜でした。道行く人々はほぼ全員、写真に収めていました。やはり日本人は桜が好きなんですね。

⑩ジュウガツザクラ.jpg
ジュウガツザクラ


 以上のとおり、見どころ満載の「新宿御苑」。園内をあでやかに彩る紅葉はまだまだこれから美しくなりそうな気配ですし、冬にはまた新しい季節の花々が咲くそうです。
 都会の喧騒を離れずとも身近にある広大なこの公園を、皆さんもぜひ楽しんでみてください。




【新宿御苑】

開園時間 9:00~16:00(16:30閉園)
休 園 日 毎週月曜日(月曜日が休日の場合は翌平日)、年末年始(12月29日~1月3日)
特別開園期間(期間中無休)
     春:3月25日~4月24日
     秋:11月1日~15日
入 園 料 一般200円/小・中学生50円/幼児無料
アクセス他、その他詳細は公式HPをご参照ください。


November 10, 2017

浅井忠と明治美術学校


 朝晩めっきり冷え込むようになってまいりました。小石川後楽園の紅葉は例年11月中旬からが見ごろ、そろそろですね。
 さて今回は、今年没後110年を迎えた日本洋画の開拓者、浅井忠(1856~1907)と、かつて小石川にあり浅井が関わった明治美術学校について記します。

 浅井忠、幼名忠之丞は、1856年(安政3年)江戸木挽町の佐倉藩中屋敷に佐倉藩重臣伊織常明の長男として誕生しました。父の死によりわずか7歳にして家督を相続し、佐倉に移住します。

佐倉城址の子規句碑.jpg
佐倉城址には浅井忠の友人、正岡子規の句碑がありました。
「常盤木や冬されまさる城の跡」



 10年を佐倉で過ごした後再び上京し、1876年(明治9年)、20歳にして国沢新九郎の画塾彰技堂で初めて洋画を学びました。同年工部省により開校されたばかりの工部美術学校に入学し、バルビゾン派の流れを汲むイタリア人画家アントニオ・フォンタネージの指導を受けました。しかし敬愛するフォンタネージはわずか2年後の明治11年に辞任・帰国してしまい、後任の教授に不満を抱いた浅井や小山正太郎、松岡寿ら多くの学生は自主退学を選び、十一会を結成しました。その影響もあってか、工部大学校は5年後に閉鎖されます。

 その後1887年(明治20年)、文部省により東京美術学校(東京藝術大学の前身)が開校されますが、設置された学科は日本画、木彫、彫金のみで洋画は意図的に排除されました。反発した浅井ら洋画家は、1889年(明治22年)明治美術会を設立し独自に洋画の普及、発展を目指します。明治美術学校(当初は「明治美術会教場」)は同会が設けた洋画教育機関です。

 1890年(明治23年)頃は京橋区内にあり、翌1891年(明治24年)の春上野公園内の華族会館に事務所を構えた明治美術会ですが、財政難から同年本郷龍岡町に移転、更に翌1892年(明治25年)に小石川伝通院の裏手にあった「鼠色に塗られた木造の洋館」へ移ります。移転先の「小石川表町109番地(文京区小石川3丁目)」は、元陸軍省用地の荒地を切り開いて新たに道を通した場所で、現在「舞姫通り」と呼ばれている小路沿いの住宅街一帯にあたります。明治美術会事務所があった正確な位置は、残念ながら分かりませんでした。浅井は当時自宅のあった下谷根岸から、馬で通っていたそうです。(余談ですが、舞姫通りの北西側の端からさらに200メートルほど進むと当社裏門に至ります。)

小石川伝通院界隈.jpg
小石川伝通院界隈


舞姫通り.jpg
舞姫通り 通りの両端にバレエやダンスのスクールがあります。


 小石川移転2年後の1894年(明治27年)、明治美術会はアトリエ機能の強化などを目的に建物を改築し、これまでの教場を明治美術学校と改称しました。設計は東京駅設計者として広く知られる帝大教授の辰野金吾。辰野はまた明治美術学校の校長に就任します。浅井は風景画の主任を務めました。弟子の石井柏亭によると当時の小石川は「家がまだまばらで画になる材料があった」ので、「時には教場の近くで風景写生をする生徒達を浅井が批評したり」する姿が見られたそうです。近隣で生まれ育った小説家永井荷風は、少年時代にそうした浅井を目撃していたのでしょう。小石川について記した随筆のなかで浅井に触れています。

 その後の明治美術会ですが、1896年(明治29年)、黒田清輝、久米桂一郎、岩村透ら海外留学組を中心とするメンバーが退会し白馬会を創設、また同時期に東京美術学校に洋画科が新設され、黒田、久米が教授に就任しました。白馬会は「新派」あるいは「外光派」、明治美術会が「旧派」あるいは「脂(やに)派」と呼ばれる風潮となり、浅井ら明治美術会には逆風が吹きます。翌1897年(明治30年)明治美術学校は閉鎖され、その4年後明治美術会も解散しました。

 浅井は明治美術学校閉鎖後、下谷上根岸町の自宅(現在の鶯谷駅前、元三島神社附近)に家塾「根岸倶楽部」を置き、後身の指導育成にあたりました。1898年(明治31年)の東京美術学校騒動後、ようやく美術学校洋画科に白馬会以外の教授を置くこととなり、明治美術会に推されて浅井が教授に就任します。翌年、パリ万博の鑑査官としてまた文部省の命による留学のためフランスへ渡り1902年(明治35年)まで2年余り滞在します。バルビゾンにほど近いグレー村を気に入り、油絵のほか多くの水彩画を制作しました。
 東京の美術界に嫌気がさした浅井は、帰国後京都に転居し京都高等工芸学校教授に就任。翌1903年(明治36年)には聖護院洋画研究所、後の関西美術院を設立し、後身の育成に注力しました。巨匠、梅原龍三郎や安井曾太郎はここで直接浅井の指導を受けた生徒のひとりです。また向井潤吉は、浅井の没後ですが関西美術院で洋画の基礎を学びました。

 文豪夏目漱石と浅井は、共通の友人正岡子規の紹介で知り合ったと思われますが、浅井が漱石の処女小説『吾輩は猫である』の挿画を描くなど深い親交がありました。浅井が1907年(明治40年)に亡くなり、翌年明治美術会の後身たる太平洋画会の第6回展で回顧展が併催されると、漱石は小説『三四郎』のなかで「深見画伯」の遺作展に仮託し、この浅井の回顧展を描きました。亡き友に寄せた漱石の想いが伝わってきます。

 浅井忠は、51年の生涯を通し洋画を志す若者たちの育成に力を注ぎ、近代洋画壇の礎を築きました。また小石川の地が、彼の活動を支える一端を担いました。最後に、『三四郎』のなかから、浅井の作品について語った言葉をご紹介します。画家原口(黒田清輝がモデルと言われます)が美彌子と三四郎に語った言葉です。

 「深見さんの水彩は普通の水彩のつもりで見ちゃいけませんよ。どこまでも深見さんの水彩なんだから。実物を見る気にならないで、深見さんの気韻を見る気になっていると、なかなかおもしろいところが出てきます」




【参考】 明治美術会略史 (石井柏亭『浅井忠 画集及評伝』他をもとに編纂)


1889年 明治22年
2月下旬、本多錦吉郎、小山正太郎、柳源吉、浅井忠、松岡寿、松井昇、長沼守敬らの発意協議により明治美術会の仮規則草案作成される。
4月9日、相談会開催され山本芳翠、渡辺文三郎、佐々木三六ら賛同。当日出席できなかった曽山幸彦、川村清雄も賛同。
4月19日、第三回美術家親睦会(根岸「伊香保」にて)でより広い範囲に会則が示されるが依存なし。
5月、明治美術会創立される。会頭に渡辺洪基(帝大総長)就任。春秋2季に展覧会開催を定める。展覧会のための学術委員15名、事務委員20名を互選。浅井は双方に選ばれたが学術委員は辞退。第一回展の会場は上野不忍池畔にあった共同競馬会社の馬見所、会期は10月20日から29日に決定。(開会後11月3日まで延長、11月4日には明治天皇の皇后、昭憲皇太后が行啓)浅井は「馬蹄香」、「春畝」(東京国立博物館)、「山驛」の3点を出品。
12月、明治美術会第1回大会開催。


1890年 明治23年
この頃、京橋区内に事務所を構えていた。(明治23年4月付有志者親睦会案内書面、同年10月11日付月例会案内書面)
4~7月、第3回内国勧業博覧会を上野で開催。明治美術会は春季展を見合わせ内国勧業博覧会に出品を決定。浅井、小山、松井、川村らは出品せず。明治美術会から小山、松岡、長沼らが油画の審査官に加わる。
4月27日、明治美術会第2回大会開催され文学博士外山正一が講演し物議をかもす。
9月3日、華族会館が鹿鳴館に移転。跡地は学習院分校となる。
9月、渡辺会頭が特命全権公使に任ぜられ、田中不二麿が新たな会頭に就任。
11月、第二回明治美術会展覧会開催(上野公園旧華族会館)され、皇后(昭憲皇太后)、皇太后(公明天皇の女御、英照皇太后)、皇太子(大正天皇)行啓。浅井は「漁村」二図、「漁磯」、「収穫」(東京藝術大学蔵)の4点出品。


1891年 明治24年
明治美術会、4月より旧華族会館を永続的使用することとなる。旧華族会館に事務所を置き展覧会や月次会を行い7月から常設の陳列館を開く。
11月、地代による負債が嵩み、旧華族会館の事務所を閉鎖、本郷龍岡町へ移転。


1892年 明治25年
1月、明治美術会事務所に仮教場(絵画科、三学年)を開設。教授内容は、一学年~二学年前期は幾何画法と鉛筆、チョークによる臨画、二学年後期から三学年にかけては素描と着色の写生、透視画法(当時は「照鏡画法」と呼んだ)と解剖。彫刻科も計画されたが実現に至らず。絵画科教授は浅井のほか本多錦吉郎、加地為也、柳源吉、松井昇、松岡寿、平瀬作五郎(幾何学画法、透視画法)の計7名。
同月、明治美術会月次会開催され、本多が提議の「裸体画ノ絵画彫刻ハ本邦ノ風俗ニ害アリヤ否ヤ」を討議。浅井は時期尚早論を展開。
3~5月、第4回明治美術会展が芝公園弥生館にて開催される。浅井は水彩画1枚を出品するのみ。この頃浅井は、従兄弟の窪田洋平が計画した神田の「パノラマ」(「忠臣蔵」のジオラマと「富士」のパノラマ/明治23年暮れから製作開始し24年4月に開館、25年4月の神田大火で焼失)製作に時間を費やしていたため出品画が少ないとされる。浅井ら明治美術会の主だった画家が製作に従事した。
5月11日から6月30日まで第3回明治美術会展覧会開催。浅井は出品せず。また秋季展は開催されず。
6月、会事務所・教場を小石川表町109番地(伝通院裏の元陸軍省用地)にあった「鼠色」の木造洋館に移転。北畠大学建設用地となっていたところを建物ごと会が入手。浅井は根岸の自宅からよく馬で教場を訪れた。


1893年 明治26年
明治美術会、米国コロンブス世界博覧会への出品を取りやめる。
4月、第5回明治美術会展覧会開催(上野公園元博覧会5号館)。田中会頭が辞任し花房義質が就任。


1894年 明治27年
明治美術会事務所を改築(設計辰野金吾)。教場を明治美術学校と改称し、辰野金吾(建築家、帝大教授)を校長とする。(「辰野の設計によって北窓を改造したりしたのでそれは漸くアトリエらしいものになつた。廣い室の一つが人物寫生に充てられ、より小さいのが石膏寫生や臨模に充てられ、尚其外に事務室會議室もあつた。」石井柏亭『浅井忠 画集及評伝』より)浅井は風景の主任、松岡が人物の主任で、松井や本多はあまり実技指導を行わなかった。表町周辺はまだ家がまばらで画になる材料があり、教場の近くで浅井指導による風景写生が行われた。
夏、日清戦争勃発し浅井、時事新報の通信員の名目で従軍画家として戦地に赴く。
11月11日から末日まで第6回明治美術会展覧会開催される。浅井は出品せず。この年帰国した黒田清輝、「朝粧」を初めて出品。


1895年 明治28年
4~7月、京都で第4回内国勧業博覧会開催され黒田清輝「朝粧」を出品し物議をかもす。浅井は「旅順戦後の捜索」(東京国立博物館)を出品、二等妙技賞受賞。
10、11月明治美術会秋季展開催。浅井、「旅順戦後の捜索」、「樋口大尉小児を扶くる図」(油画)ほかに水彩画9点を出品。
浅井、明治29年頃まで教科書出版に注力。(金港堂『中学画手本』、吉川書店 中等教育『彩画初歩』、金港堂『新按小学画手本』など)


1896年 明治29年
6月、黒田清輝、久米桂一郎、岩村透ら明治美術会を退会し白馬会を創設。
東京美術学校に洋画科新設され黒田、久米講師となる。この頃から白馬会を新派、明治美術会を旧派と呼ぶ風潮興る。
明治美術会秋季展開催されず。
7月、浅井、元三島神社前の下谷上根岸町38番地に転居。


1897年 明治30年
4~5月明治美術会展覧会開催。浅井「漁婦」、「海上の春雨」、「房州根本村の景」2図、計4点出品。
明治美術学校閉鎖。浅井、自宅隣に家塾「根岸倶楽部(後の同友会研究所)」を置き後進を指導。


1898年 明治31年
3月、明治美術会創立10年記念展覧会開催。浅井「冬枯」を出品。
東京美術学校騒動の後、洋画科に白馬会以外の教授を置くことが議論され、明治美術会の推薦で浅井が教授となる。


1899年 明治32年
浅井、内閣よりパリ万博鑑査官に任命される。また文部省よりフランス留学を命ぜられる。


1900年 明治33年
2月、浅井、渡欧。(~1902年)


1901年 明治34年
11月、明治美術会解散。翌年、吉田博ら後身の太平洋画会結成。

November 1, 2017

東の「運慶」、西の「国宝」展を見る。


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日ごとに寒さが身に染みる季節になってまいりました。つい先日には東京と近畿地方で木枯らし1号も発表されました。冬本番の時節到来です。皆さまも健康には十分お気をつけ下さい。

さて、上野の東京国立博物館ではこの秋注目の展覧会、興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」が開催されております。日本で最も名高い仏師・運慶の主要作品が一堂に会する史上最大の「運慶展」です。現在、運慶作と言われる仏像は全国各地に計31体が残るとされていますが、この展覧会ではその内のなんと22体が展示されております。

私は週末の夜に鑑賞しましたが、大盛況の噂に違わず、待ち時間はなかったものの館内は人で溢れかえっていて、皆さん実に熱心に鑑賞されておりました。

国宝の「大日如来坐像」(円城寺)、「八大童子立像(うち6体)」(金剛峯寺)、「毘沙門天立像」(願成就院)、「無著(むじゃく)菩薩立像」・「世親菩薩立像」(ともに興福寺)に、「毘沙門天立像」(浄楽寺)、「聖観音菩薩立像」(瀧山寺)など、壮観な展示内容はまさに見応え十分と言えるものです。

展示の解説パネルには仏像の玉眼(水晶を入れた目)の輝きや袈裟の襞の表現から、制作の時代背景まで鑑賞のポイントが簡潔に記されており、仏像ビギナーの私でも日本彫刻の真髄をたっぷりと堪能することが出来ました。


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【展覧会情報】
興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」
会場 東京国立博物館平成館
会期 11月26日(日)まで ※月曜休館
時間 9:30~17:00 (金曜・土曜および11月2日は午後9時まで)




そして一方、西の京都国立博物館では京都国立博物館開館120周年記念として特別展覧会「国宝」が開催されております。本年は京博と国宝ともに120周年を迎える節目の年にあたり、昭和51年の「日本国宝展」以来の実に41年ぶりとなる貴重な展覧会です。

国宝に指定された美術工芸品885点のうち約200件もの国宝が京都の地に集められ、4期に分けて展示されます。

私も東京から勇んで駆け付けましたが、一堂に集められた貴重な展示物の数々に圧倒されました。丁度伺った時には雪舟の全6件の国宝が一室に展示されており、まさに二度とない機会を満喫いたしました。関西に在住であれば会期中何度も訪れたいと思わせる夢ような展覧会でした。



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【展覧会情報】
「京都国立博物館開館120周年記念 特別展覧会 国宝」
会場 京都国立博物館
会期 11月26日(日)まで ※月曜休館
時間 9:30~18:00 (金曜・土曜は午後8時まで)


深まる秋のこの季節、深遠なる伝統美の世界に旅してみてはいかがでしょうか。空前絶後の東西二大展覧会に、皆さまもぜひ足をお運び下さい。




October 27, 2017

【新作のご紹介】彩美版® 速水御舟「瓶梅図」

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秋涼爽快の候、木々の葉も鮮やかに色づいて参りました。皆さまいかがお過ごしでしょうか。
このたび当社より、日本画家・速水御舟「瓶梅図(へいばいず)」を彩美版®にて販売開始いたしました。

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東京浅草生まれ、40歳で生涯を終えた速水御舟は、14歳のころより松本楓湖の画塾に入門。
すでに23歳で、横山大観らに激賞を受け日本美術院同人に推挙されます。
いわゆる天才です。


写実すぎるゆえに波紋を呼んだ、御舟代表作《京の舞妓》ほどの超絶写美はないものの、
赤絵壺の模様にみられる緻密さと、らせん状に描かれた枝ぶりの隙のない構図に、
御舟らしい凄みを感じる力作です。

梅を描いた日本画は数ありますが、その計算された構図と配色のせいか、
他にない何とも言い難いすっとした独特の佇まいがあります。
写真ではお伝えしきれないのが残念なほどです。
まったく古さを感じさせないフレッシュさがありますので、現物で観ていただきたい作品です!

本作が描かれたのは1932年(昭和7年)。
当時の東京は関東大震災復興事業を通じ、モダン都市へと変貌を遂げていた時代でもありました。
伝統とモダンが融合した《瓶梅図》を、ぜひお手元でお楽しみください。
また、本作には日本画家、田渕俊夫先生のインタビューを収録した特別付録冊子がついております。


速水 御舟 はやみ ぎょしゅう (1894~1935)
1894年、東京浅草に誕生。1908年、松本楓湖の安雅堂画塾に入門。1914年、俵屋宗達の《源氏物語関屋澪標図》に感激し、雅号を「禾湖(かこ)」から「御舟」に改める。再興第1回院展に《近郊(紙すき場)》を出品し院友推挙。1917年、再興第6回院展に《洛外六題》出品、横山大観らの激賞を受け同人推挙。1920年頃より静物画に集中的に取り組み、再興第7回院展に超絶写実の《京の舞妓》を出品し波紋を呼ぶ。1925年、軽井沢での取材をもとに《炎舞》(重要文化財)を制作。1929年、《名樹散椿》(重要文化財)制作。1930年、イタリア政府主催・ローマ日本美術院の美術使節として渡欧。1932年《瓶梅図》制作。1935年、腸チフスに罹患し、40歳で逝去。


本体価格 185,000円(税別)
技法 :彩美版®シルクスクリーン手刷り(パール、銀、本金一部使用)
限定 :200部
額寸 :天地75.0cm×左右65.6cm×厚み3.1cm
監修 :速水夏彦

【お問合せ先】 
共同印刷株式会社
アート&カルチャー部
03-3817-2290 =お気軽にお問合せください=

October 20, 2017

ささやかな癒しの場所

暑さと寒さが競い合うような煮え切らない気候が続く中、久しぶりにカフェギャラリーを訪ねてみたくなり、かねてより気になっていた、さいたま市見沼にある古民家タイプのカフェに行ってみることにしました。


国道から一般道に入り、見沼の田んぼが連なる情景の中、あぜ道のように細い道を入っていくと車がいくつも止まっている行き止まりの場所に辿り着きました。café&gallery 温々(ぬくぬく)というお店です。建物は170年前の古い納屋を改築し、カフェとギャラリーのスペースに生まれ変わらせたもので、お店自体既に二十数年の歴史があるそうです。

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店内はちょうどお昼時ということもあり、食事と歓談を愉しむ人々で賑わっていました。豊かな雑木林に面した全面ガラス窓、古い造りを活かした梁がむき出しの天井、様々な陶器が置かれた棚、ガラス器や種々のお土産が置かれたスペースなど、こんな田んぼの中で?と思うほど、お洒落な印象の内装で、賑わいを見ても人気スポットであることを伺わせます。

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2週間ごとに展示替えするというギャラリースペースも土壁風の味わいがある、落ち着いた雰囲気です。この日は「しもゆきこ木版画展」が開催されていました。寺田寅彦の短文集「柿の種」をテーマにした作品ですが、しも先生はかつて「まんが日本昔ばなし」の作画をされ、その飄々とした温もりが木版画にも息づいています。ご本人も在廊し、毎年今頃にここで作品展を行っており、もう20年以上になるということでした。
私はカウンター席に座り、ヘルシーさが際立つ雑穀米善とコーヒー(まろやか)をいただきました。帰り際、この不思議な場の雰囲気をまた味わいたいと感じ、繰り返しいらっしゃるお客さんも多いのだろうと思いました。

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帰り道の途中に「市民の森・見沼グリーンセンター」という公園があるようで、何の予備知識もないまま、ちょっと立ち寄ってみました。駐車場は満車状態で意外な人気に戸惑いながら何とか駐めて、園内を散策しました。結構広いようで、全体を見て回ることはできませんでしたが、広々としたのどかな芝生広場、会議室や農産物直売所などのある本館等に特徴があるのだと思いつつ、温室らしき建物は改修中で廃墟状態、その近くのリス飼育舎もこじんまりしてトホホという印象でした。
しかし東へ歩いていくと「子リスのトトちゃん」の像が建つ「りすの家」という施設があり、どんなものかと、小さな子を連れた家族たちに混じって入ってみました。すると思いがけずこの空間に気持ちが惹き込まれました。

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中は大きなネットで囲われた野外のフィールドで、順路を歩いていきますが、リスたちが遊べるように木材や草花が配置され、所々に屋根付きの小さな餌場が置かれています。何匹ものリスたちは自由に生き生きと駆け回り、檻などで隔てられることなく目の前で眺めることができます。足元を横切ったりするので、踏んでしまわないか不安ですが。(触ることは禁じられています。)結構長い時間見て回り、帰路に就くことにしました。
「カフェギャラリー・温々」も和みの場所ではありましたが、間近に見るリスたちの仕草に、よりぬくぬくした癒しを感じてしまうのは予想外でした。


■café&gallery 温々(ぬくぬく)
 さいたま市見沼区丸ケ崎1856   TEL 048-686-3620
 営業時間10時30分~20時(満月の日~21時)
 満月の日は17:00より通常のメニューにないアルコールアラカルトあり。
 定休日 月曜(祝祭日の場合は翌日)
■市民の森・見沼グリーンセンター
 さいたま市北区見沼2-94   TEL 048-664-5915
 開門時間 市民の森:4月から9月 8時30分~18時  10月から3月 8時30分~17時
         りすの家:10時~16時
 定休日 市民の森 年末年始
       りすの家 月曜(祝祭日の場合は翌日) 

October 12, 2017

芸術の秋と、東山魁夷「行く秋」

いつもブログ『美術趣味』をご覧頂きましてありがとうございます。

現在、千代田区北の丸公園にある東京国立近代美術館で所蔵作品展「MOMATコレクション」(~11月5日まで)が開催されています。この展覧会は同美術館の幅広い収蔵作品の魅力が一堂に集まり、とても見応えがあります。中でも見どころは、同館で多数所蔵している東山魁夷の作品17点を同時に展示している事です。人気の作家なので貸し出しが多く、まとめて展示される機会はなかなかないようです。風景画家として立つことを決意した「残照」、教科書などにも出てなじみ深い「道」など、素晴らしい作品が壁面を彩ります。秋の深まり行くこれからの季節、皇居の散策なども含め見に行かれてはいかがでしょうか。
さて秋と東山魁夷と言えば、当社にも素晴らしい作品がございます。東山魁夷 マスターピース コレクションTM「行く秋」です。画面全体、黄葉に彩られた輝くような秋の景色。東山魁夷はこの作品についてこう述べています。
「秋深い林の中を落葉を踏んで歩く。
楓の黄葉が地上に織り上げた金色のタペストリー。
行く秋は淋しいと誰が言ったのか。
私が見出したのは、荘重で華麗な自然の生命の燃焼である。」
魁夷の自然に対する気迫ある姿勢が感じ取れます。

残念ながら本作品は「MOMATコレクション」には展示されていませんので、当社の商品画像でお楽しみください。なお2018年1月2日からは、八王子にある東京富士美術館で「東京富士美術館開館35周年記念 東山魁夷展─長野県信濃美術館東山魁夷館所蔵品による」が開催されます。同展覧会では、現在改修中の長野県信濃美術館 東山魁夷館の所蔵作品が多数展示されます。是非この機会に足をお運びになってはいかがでしょうか。


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東山魁夷 マスターピース コレクションTM 「行く秋」
原画所蔵:長野県信濃美術館 東山魁夷館
監修:東山すみ
販売価格 500,000円+税
<仕様体裁>
技法:彩美版®プレミアム
限定部数:350部
額縁:特注銀泥プラチナカラー木製額・ハンドメイド浮き出し加工
画寸法:459×652mm
額寸法:636×832mm
重量:約5.3Kg
高精度プリントに高級アクリルガラスを貼合したモダンな仕様です。
ぜひお気軽にお問い合わせください。
共同印刷株式会社 アート&カルチャー部
お電話03-3817-2290(土日祝は除く平日10:00~17:00)

October 5, 2017

山奥の巨大要塞


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トロリーバスに揺られながら向かうと、山奥に突如現れる巨大な建造物に圧倒されました。日本最大級のダムであり、放水シーンで有名な「黒部ダム」は、まさにコンクリートの塊。その全容はさながら、要塞のようでした。

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黒部ダムは北アルプスの山間部に、昭和31年から建設が始まり、当時の金額で513億の巨費が投じられ、延べ1,000万人もの人手により、7年の歳月を経て完成しました。高さ186mは日本一を誇り、そのスケールの大きさと困難さから「世紀の大工事」と語り継がれています。中でも破砕帯との格闘は石原裕次郎主演の映画「黒部の太陽」に描かれた事でも有名です。そして今年は「破砕帯突破60周年」を迎え、現地では当時の工事について記念展示がされています。

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破砕帯とは、岩盤の中で岩が細かく砕け、その隙間に地下水を大量に含んだ地層をいいます。ダム建設のためにトンネル工事は不可避でした。そして、順調に工程が進む中この「破砕帯」にぶつかってしまったのです。破砕帯の長さは、約80メートル程しかありませんでしたが、次から次へと溢れ出てくる水の影響で、工事は困難を極めました。トンネル工事の最難関箇所と言われ、多数の死者がでました。しかし、この破砕帯を突破しなければダムは完成しません。現場作業員は、持てる知識と知恵・経験を結集し、7ヶ月の苦闘の末に突破したのです

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そして現在、観光地として賑わうことになった黒部ダムの最大の見所は、日本一を誇る高さからの「放水」でしょう。「ゴーッ」という水しぶきをあげながら、毎秒10トン以上の水が一気に放水されている様子は圧巻です。天気の良い日は、水しぶきで虹がかかることもあるそうです。


September 29, 2017

感謝の気持ちを忘れずに。。。

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台風一過で空気が秋の気配に変わり、少しづつ涼しさが深まってまいりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。この様な陽気で体を冷やしたりして風邪をひいたりとしがちですが、どうかお体をご自愛くださいませ。

 
秋のお彼岸に入り入りました。お墓参りをしてご先祖様達の墓前に心静かに手を合わせると、なぜか心がやすらかになれます。お花やお線香、お供えと先祖を敬い、故人を偲ぶ気持ちは、とても大切なことだと思います。また、こういった場で家族間のコミュニケートをはかるのもとても良い機会なのではないでしょうか。普段なかなか都合がつかず足が遠のいてしまいがちですが、私も時間を見つけてお墓参りに行こうと思います。ご先祖様を敬い、家族に感謝して、あたたかい気持ちを大事にしていきたいものです。

 今回は、私のお気に入りの逸品をご紹介いたします。



版画 伊藤髟耳 《家族》
販売価格 150,000円+税


日本美術院同人の伊藤髟耳(ほうじ)先生にお願いして、再興第87回院展作品集の表紙画をもとに版画を制作していただきました。
ほんの短い、ささやかな言葉のやりとりの中のに芽生えるあたたかな気持ちを、身近にいる「家族」に感じ、手で創られる郷土土人形のぬくもりを、手の中で感じ取られたそうです。
ひとつひとつ先生御自身が丁寧に手彩色を入れて下さいました。
伊藤先生のお人柄を反映し、暖かく穏やかな気持ちにさせてくれるまさに「特別な」作品です。


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<仕様体裁>
技法 彩美版(R)、シルクスクリーン、画家自身による手彩色(岩絵具、金泥)
用紙 版画用紙
限定 100部(作者直筆サイン、落款印入り)
額縁 特製木製額、アクリル付(国産、ハンドメイド)
画寸 天地35.5×左右37cm
額寸 天地55.5×左右55.7cm
重量 約2.5kg




September 22, 2017

秋の気配が暮らしを彩ってまいりました


 爽涼の候、澄んだ青空に心洗われ、少しずつ早まる日暮れとともに虫の音が心地よい季節がやってまいりました。皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 この季節の移ろいは、日増しに五感が優れてくるような気配すら感じます。

  【 視 覚 】
    【 触 覚 】
      【 嗅 覚 】
        【 味 覚 】
          【 聴 覚 】

...と文学的なことを言っておきながら、結局のところ私が気づく事と言えば、身近なスーパーの果物売場の盛り沢山さ、食欲をそそるとても色鮮やかなこと。

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 まさに、「天高く馬肥ゆる秋(空は澄み渡って晴れ、馬が食欲を増し、肥えてたくましくなる秋)」ですね。

 さて、果物は古代から豊穣のシンボルとして、また愛情のしるしとして美術のさまざまな場面で描かれてきました。静物画のモチーフとしても時代や国を超えて多くの作品に描かれており、身近なものとして親しまれてきました。

 19世紀末、セザンヌは「静物画のモチーフは果物がよい」として、リンゴを好んで描いたそうです。リンゴの形や重さといった「物質としての存在感」を表現するために、テーブルクロスや花瓶などを同じ画面上に置き、果物の瑞々しさと無機質な素材とを描き分けるなど絶妙なバランスを配し、その制作姿勢は後の画家たちへ大きな影響を与えました。

 また、印象派の画家たちは、果物を描くことで、キャンバスを通じて自然界の光を屋内に持ち込むといった願いを抱いていたとも言われています。

 そこはかとなく秋の気配が感じられる今日この頃、文学的・芸術的な思考を巡らせながらも、皆さまの日常にある秋色=ご近所にあるスーパーの果物売場を散策し、五感で楽しく味わって頂ければ幸いです。

September 15, 2017

ローカル線で行く芸術の里、中房総いちはらの旅


 「ローカル線」という言葉にノスタルジーを感じるのは私一人ではないでしょう。多くの人にとって鉄道は、忘れ得ぬさまざまな想い出の場面にその背景として登場することでしょう。想い出が一杯詰まった鉄路とローカル線はイメージのなかで重ね合わされそれが郷愁として意識されるのでしょうか。故郷のローカル線はある意味人生そのものと言えるかもしれませんね。
 地方のローカル線は合理化のため次々と廃線となっています。私が幼いころ通学に利用していた片田舎の鉄道もはるか以前に廃されバスに取って代わりました。私の故郷の鉄路は既に想い出の中にしか存在しません。もう一度乗ってみたいと願ってもそれは叶わないのです。しかし、今も営業を続けるローカル線の旅を通じ、疑似的ではありますがその思いを叶えることは可能でしょう。鉄道ファンならずともローカル線に魅力を感じるのは、こうしたことも理由のひとつかもしれません。夏も終わりの週末、私は東京近郊のローカル線・小湊鐵道を利用した小旅行に出かけてきました。写真を交えて簡単にご紹介させていただきます。


五井機関区.JPG
小湊鐵道五井機関区


五井駅.JPG
五井駅


 房総半島すなわち千葉県のほぼ中央部に位置する市原市内を南北に貫く小湊鐵道は、関東地方のローカル線の代表格と言えるでしょう。近年、沿線の風景の美しさや鉄道施設のノスタルジックな魅力に加え首都圏から日帰り可能な利便性が評価されマスコミに取り上げられることが多くなり、知名度も高まっています。創業は1917年(大正6年)ですから、今年100年を迎えました。
 東京湾沿岸部にありJR内房線と接続する五井駅を起点とし、山間部の上総中野駅を終点とする片道39.1kmの路線は、養老川と併行するように走り、車窓から眺める美しく穏やかな田園風景はこの路線の魅力のひとつです。ことに養老渓谷の眺めはそのハイライトと言えるでしょう。小湊鐵道の魅力は多くの表現者の心を捉え、写真や映像作品に取り上げられています。また、鉄道をテーマにした作品で知られる日本美術院同人の小田野尚之画伯はしばしば小湊鐵道に取材した作品を発表されています。(第66回春の院展「定刻着」ほか)


月崎駅.JPG
月崎駅


緑のトンネル.JPG
緑のトンネル


トロッコ列車.JPG
トロッコ列車


 同鉄道は全線単線で電化されておらず、基本的には気動車(ディーゼル車)の1両または2両編成で運行されています。このほか開業当時使用していた蒸気機関車そっくりに仕立てられたディーゼル機関車が牽引する観光むけの里山トロッコ列車が平日上り下り各2本、土日祝日各3本運行されています。開業は1925年(大正14年)、まず五井~里見間での運行が始まり、終点上総中野までの全線が開通したのは1928年(昭和3年)です。当初計画では、日蓮上人ゆかりの誕生寺がある外房の小湊まで延伸する予定でした。小湊鐵道という社名はその名残です。駅舎など多数の施設が開業当初からのもので、簡素な造りながら古典的美しさを保っています。2016年(平成28年)、文部科学省文化審議会により同社の22施設を国の登録有形文化財へ登録する答申がなされ、今年5月に正式登録となりました。


登録有形文化財案内板.JPG
登録有形文化財案内板


 小湊鐵道沿線の観光としては養老渓谷と養老温泉が代表的ですが、近年では市原市が主催する中房総国際芸術祭「いちはらアート×ミックス」という現代アートのイベントが注目されています。この芸術祭は、東京近郊のベッドタウンとして開発が進み人口が急増する市北部と対照的に緑豊かな自然や里山が残る一方深刻な過疎化が進行する市南部地域の活性化をアートの力を借りて行うべくスタートしました。いわゆるアートによる「まちおこし」のひとつと言えます。第1回は2014に開催され、今年第2回目が4月から5月にかけて開催されました。特徴のひとつは、小湊鐵道沿線に点在する、廃校となった小中学校校舎や里山そのものを作品展示会場とすることです。人々が暮らす地域ごとにアートの拠点を構え、文化活動によるまちづくりを行うことがうたわれています。また、個々の地域を貫く地域の交通の要である小湊鐵道の活用ももうひとつの重要なポイントとされています。地域間の移動手段であるばかりでなく、駅舎などの施設そのものも活用されています。
 上記の通り今年のイベントは5月に終了してしまいましたが、そこかしこにイベントの活気の名残のようなものが感じられました。途中下車した月崎駅には、木村崇人氏による作品「森ラジオ ステーション」がありました。小湊鐵道でかつて使われていた詰所小屋を植物で覆い、いささか陳腐な表現ではありますが、「となりのトトロ」などジブリアニメのワンシーンを彷彿とさせる幻想的空間を具現化しています。


もりラジオステーション.JPG
木村崇人「森ラジオ ステーション」


 月崎駅から五井方面に三駅戻った高滝駅の近くには、養老川をダムで堰き止めた高滝湖がありその湖畔に市原湖畔美術館が建っています。「いちはらアート×ミックス」開催にあわせて既存の展示施設「水と彫刻の丘」(1995年開館)をリノベーションし2013年再オープンしたもので、数少ない公立現代美術館のひとつとして知られます。「いちはらアート×ミックス」の主要会場のひとつであるほか、年5回ほどの企画展を開催しています。現在は音楽の一ジャンルで、若者に人気のラップ・ミュージックを取り上げた「ラップ・ミュージアム展」を開催中です。


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高滝湖と市原湖畔美術館


 ラップ・ミュージックをご存じない方のために、かいつまんでご説明しますと、一般的な音楽が音階による旋律(メロディ)を主体とするところ、韻を踏む歌詞とリズムが最も重要な構成要素であるところに特徴があります。リズムに合わせて詩を朗読するイメージと言えば少しはご理解いただけるかもしれませんね、私は正直なところラップそのものには余り興味がなく、予備知識も持ち合わせていなかったのですが、音楽をテーマにしたアート展示がいかなるものか興味がもたれて覗いてみました。拙い私の文章で読者の皆様にご理解いただけるかどうかわかりませんが、特殊な電子装置を用いたリズムと言葉の緊密な関連性をビジュアル的に表わす展示を通し、作者それぞれのユニークなリズムと韻を踏む歌詞の連鎖が、あたかも和歌のように、練り上げられた計算に基づく美しい精緻な構造を形作っていることを知りました。また日本のラップ・ミュージックが既に30年近い歴史を持つことにも驚きました。少なくともこの企画展は私にとって、多少なりともラップを理解する手掛かりとなり、少なからぬ興味を持つきっかけとなったことは確かです。喰わず嫌いよりまずはチャレンジですね。


 ご紹介してきました小湊鐵道とその沿線ですが、実はこれからの季節、秋がお勧めです。田園地帯の黄金色の実りや紅葉の美しさは千葉県内でも一、二を争う魅力です。ことに、養老渓谷の紅葉はお勧めです。
JR東京駅から五井駅(JR内房線)まで片道約1時間、小湊鐵道・五井駅から終点・上総中野までは1時間余り。上総中野駅でいすみ鉄道に乗りかえれば、外房の大原まで抜けることができます。この秋、ローカル線の旅に出かけてみませんか。


※小湊鐵道やいすみ鉄道は一日の運行本数が少ないため、事前に時刻表をよくお確かめの上お出かけください。




【市原湖畔美術館】
<基本情報>
所在:千葉県市原市不入75-1
電話:0436-98-1525
開館:(平日)10:00 - 17:00
(土・祝前日)9:30 - 19:00
  (日・祝)9:30 - 18:00
休館:月曜(祝日の場合は、翌平日)、年末年始


<開催中の企画展>
ラップ・ミュージアム RAP MUSEUM
開催期間:8月11日~9月24日
入場料:料金:一般800(700)円
 大高生・シニア(65歳以上)600(500)円。
 ()内は20 名以上の団体料金。
 中学生以下・障害者手帳をお持ちの方とその介添者(1 名)は無料。

プロフィール

共同印刷株式会社SP&ソリューションセンター アート&カルチャー部では、日本画を中心とした複製画や版画の制作、販売をてがけています。制作の裏側や、美術に関係したエッセーを続々とアップしていきます。尚、このサイトの著作権は共同印刷株式会社又は依頼した執筆者に帰属します。

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