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年譜Biography
1886年 東京府牛込区(現在の新宿区)に陸軍軍医の藤田嗣章と政の次男として生まれる。
1905年 19歳 東京美術学校西洋画科に入字。
1907年 21歲 白馬会第11回展に初入選。
1910年 24歲 東京美術学校を卒業。
1912年 26歳 鴇田とみと結婚。
1913年 27歳 父と3年の約束でフランスへ留学。パリのモンパルナスに住む。
1914年 28歲 第一次世界大戦が勃発。日本からの仕送りが途絶え貧窮する。ピカソのアトリエで観たルソーの作品に影響を受ける。
1916年 30歳 父に留学継続のため自活を宣言する。とみと離婚。
1917年 31歳 フェルナンド・バレーと結婚。初の個展を開催。
1918年 32歳 モディリアーニらと南仏に滞在。
1919年 33歳 サロン・ドートンヌに出品した6点がすべて入選。
1922年 36歳 前年に制作したく自画像>をベルギー王室美術館が買上げる。<ジュイ布のある裸婦>を第15回サロン・ドートンヌに出品。
1924年 38歳 フェルナンドと別れ、リュシー・バドゥ(通称ユキ)と暮らし始める。
1925年 39歳 フランスからレジオン・ドヌール勲章(シュバリエ)、ベルギーからレオポルドー世勲章を受章。
1929年 43歳 ユキと結婚。日本へ帰国し国内を旅する。
1930年 44歳 アメリカを経由しパリへ戻る。
1931年 45歳 ユキと離別し、マドレーヌ・ルクーと結婚。ブラジルへ旅立つ。満州事変が起きる。この年から33年まで中南米をめぐる。
1933年 47歳 アメリカ経由で日本へ帰国。
1936年 50歳 マドレーヌが日本で急逝。
1937年 51歳 秋田で大壁画<秋田の行事>制作。
1938年 52歳 堀内君代と結婚。海軍嘱託となり、漢口攻撃戦に従軍する。
1939年 53歳 アメリカ経由でフランスに旅立つ。
1940年 54歳 第27回二科展にく争闘(猫)>が特別陳列。戦況悪化のため再び日本に戻る。
1942年 56歳 陸軍省と海軍省から派遣画家に選ばれ、海外で戦線取材を続ける。
1945年 59歳 疎開先の小淵村(現・相模原市)で終戦を迎える。
1946年 60歳 美術界における戦争責任の問題から戦争犯罪者としてフジタの名前が挙がる。
1949年 63歳 アメリカ入国のビザを得て、ニューヨークに渡る。<ラ・フォンテーヌ頌>、<カフェにて>を制作(~63年)。
1950年 64歳 フランス入国許可が下り、パリへ戻る。
1955年 69歳 君代夫人とともにフランス国籍を取得。日本芸術院会員を辞任する。
1957年 71歳 レジオン・ドヌール勲章(オフィシエ)受章。
1958年 72歳 ベルギー王立アカデミー会員となる
1959年 73歳 君代夫人とともにカトリックの洗礼を受ける(洗礼名レオナール)。<聖母子>に初めて「レオナール・フジタ」とサインする。
1961年 75歳 パリ南部のヴィリエール=バクルに転居。農家を改装し住居兼アトリエとする。
1966年 80歳 ノートル=ダム・ド・ラ・ペ礼拝堂の建設。建築案から装飾までを手掛ける。
1968年 チューリッヒ州立病院で死去(享年81)。ランス大聖堂で葬儀。日本政府から勲一等瑞宝章を授与される。