かつしか ほくさい
葛飾 北斎
1760-1849

かつしか ほくさい
Hokusai Katsushika

年譜Biography

葛飾 北斎
1760-1849

かつしか ほくさい
Hokusai Katsushika

1760年 江戸本所割下水(現在の墨田区亀沢附近)に生まれる。幼名時太郎。
1778年 浮世絵師、勝川春章に入門。
1779年 勝川春朗と号し役者絵を中心に錦絵制作を始める。
1794年 勝川派から破門され俵屋宗理を名乗る。以後狂歌絵本の挿絵や摺物等を制作。
1798年 宗理号を門人に譲り、北斎辰政の号を用いる。
1806年 曲亭馬琴宅に数か月滞在。馬琴作『新編水滸画伝』挿絵を制作。
1807年 馬琴作『椿説弓張月』挿絵を制作。
1811年 この頃より錦絵の制作が増える。
1814年 『北斎漫画』初編刊行。
1817年 名古屋西本願寺別院にて120畳大の大達磨を描く。
1831年 この頃より錦絵『富嶽三十六景』刊行される。
1834年 絵本『富嶽百景』初編刊行。画狂老人卍号を用い始める。この頃より肉筆画の制作が増える。
1842年 天保改革の出版統制令により浮世絵出版に制限が課せられ、関係者が処分される。
 11月頃より唐獅子をモチーフに「日新除魔」を描き始める(~1843年12月)。小布施の高井鴻山邸を訪ねしばし逗留する。
1844年 娘阿栄(葛飾応為)を伴い小布施に滞在し、東町祭屋台天井画「龍図・鳳凰図」を制作。
 《唐獅子図》袱紗絵を描く。
1849年 浅草聖天町遍照院(浅草寺支院、台東区浅草6丁目)境内の仮宅で没する。享年90。