やすだ ゆきひこ
安田 靫彦
1884-1978

やすだ ゆきひこ
Yukihiko Yasuda

年譜Biography

安田 靫彦
1884-1978

やすだ ゆきひこ
Yukihiko Yasuda

1884年 東京・日本橋に生まれる。本名新三郎。
1898年 小堀鞆音(こぼりともと)に入門。鞆音の師、川崎小虎より雅号「靫彦」を戴く。
 小山栄達等と紫紅会を結成。今村紫紅の入会により紅児会と改名。
1901年 東京美術学校日本画科選科に入学するも、内容に失望し同年退学。
1907年 文展に向けての研究会で岡倉天心に認められ、日本美術院研究所(五浦)に招かれる。
1908年 12月、岡倉天心の推挙により奈良に修学するも、発病し、翌年8月に帰京。
 以降転地療養を続けるようになる。
1912年頃 「花の酔」を制作。横浜原家の三渓園での古美術鑑賞や研究会にしばしば招かれる。
1914年 日本美術院の再興に参加し、経営者同人6名中の一員に加わる。
1919年 1月に結婚した妻・いとと共に越後の良寛の遺跡を巡り、翌年の再興第7回院展に「五合庵の春」を出品する。
1922年 新潟、出雲崎に良寛堂を設計する。
1923年 関東大震災により住居が全壊、借家に移り、昭和3年、東小磯に初めて自宅を新築して落ち着く。
1938年 第二回新文展に「孫子勒姫兵」を出品。
1941年 「黄瀬川陣」を再興第28回院展に出品。朝日文化賞を受ける。
1944年 東京美術学校の教授となる。(1951年退職)
1948年 文化勲章を受章。
1950年 文部省文化財専門審議会の専門委員となる。(1959年退任)
1958年 財団法人となった日本美術院の初代理事長に就任する。
1964年 再興第49回院展に「飛鳥の春の額田王」を出品。
1965年 東京藝術大学名誉教授となる。
1967年 法隆寺金堂壁画再現模写を、前田青邨と共に総監修する。翌年完成。
1968年 皇居に完成した新宮殿千草の間に歌額「万葉秀歌」の書を納める。
1978年 死去。享年94歳。