母と子と犬がリズミカルに一列になって前進して行く≪径(こみち)≫。小倉遊亀画伯はこの絵で、明るく、温かく、楽しいもの、生きることの喜び、そんな思いにみちた世界を描きたかったそうです。昭和41年(1966年)に中国の龍門石窟を訪れた際に、小倉遊亀画伯はこの絵の草案を得ましたが、なかなかイメージがまとまりません。悩み格闘の末、お中元にきた息子夫婦とその子どもが帰って行く姿が浮かびました。そして子どもに傘を持たせたポーズを中心にしてこの絵のイメージが決まっていきました。小倉遊亀画伯が先生と呼ぶ安田靫彦に大下絵(本画を描く前の原寸大の下絵)を見せたところ、「いつも身近に見ている景色だから面白く描けるのだね」という意味のことをいわれました。この言葉が示す通り、小倉遊亀画伯が優れているのは、日常のありふれた風景のなかから美を取り出すことができる力なのです。
さて≪径≫の主役は子どもということになりますが、陰の主役であり、控えめな名脇役ともいえるのが犬の存在です。小倉遊亀画伯と犬とのかかわりは大変長く、105歳の長寿を全うした小倉遊亀画伯のそばにはいつも愛犬がいました。父親が犬好きだったので、小倉遊亀画伯は子どものころから犬のいる環境で育ちました。戦時中は食糧難のなかでも、なついた野良犬のために餌を調達していたそうです。小倉遊亀画伯の愛犬は、ロン、タチ、ノン、コマ、テル、リカ、華子などの名前で呼ばれ、かわいがられました。なかでも昭和43年(1968年)に愛犬のコマが突然に生死を彷徨った事件は、小倉遊亀画伯にとって印象深いものでした。手の施しようがないなか祈るような思いで看病したところ、奇跡的に命が助かりました。この大事件が、小倉遊亀画伯に生きものの命の重さを改めて教えてくれました。小倉遊亀画伯は≪径≫のなかで、子どもにくっついていく犬で愛情をあらわしたそうです。それは、いつも身近にいて愛情を注いでいる犬への感謝の気持ちが、あらわれたものなのかもしれません。
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