November 28, 2017

「BRAVE & BOLD(ブレイブ&ボールド)VOL.3」            作家直筆サイン入り複製画、予約受付中!!



いつもブログ「美術趣味」をご覧頂きましてありがとうございます。

先週、11月25日、26日の二日間にわたり共同印刷 播磨坂スタジオにおいて、当グループ会社のデジタルカタパルトが運営協力を行った「BRAVE & BOLD VOL.3」が開催されました。



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「BRAVE & BOLD」は、米国のコミック・コンベンションのように、コミック作家がファンの前でライブパフォーマンスを披露し、コミックアートが生み出すエネルギーと魅力を体感するイベントです。まんがの国・日本に世界のアーティストが集結して、卓越した感性と技術を体感する次世代のコミックイベントとして誕生しました。
イベントでは、アーティストの作品販売のほか、来場者のリクエストに応じてその場でキャラクターを描くコミッションスケッチや、トップアーティストによるライブドローイングなどが行われました。また、このライブドローイングの様子は、当社の新動画メディアサービス「GetWel」で生中継されました。

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当アート&カルチャー部は「高級複製画 制作・販売プロジェクト」を銘打ち、イベント会場にブースを設け参加しました。「ゴジラvsビオランテ(1989年公開)」のビオランテのキャラクターデザインなどを担当された「西川伸司 先生」と、デジタルアートバトル「LIMITS」初代世界王者の「アオガチョウ 先生」にご協力を頂き、両先生の複製画予約注文を行いました。


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西川伸司「ゴジラVSビオランテ 2013」 額寸法 683×522㎜ 75,600円(税込価格)
TM&ⒸTOHO CO.,LTD



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西川伸司「Silhouette-G」 額寸法 546×424㎜  54,000円(税込価格)
TM&ⒸTOHO CO.,LTD



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アオガチョウ「Endless Story 不思議の国のアリス」 額寸法 684×527㎜  54,000円(税込価格)
ⒸAogachou



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アオガチョウ「夢想 狼少年」額寸法 546×424㎜ 32,400円(税込価格)
ⒸAogachou



作品の選定から、色調や額装を両先生に監修してもらい、正式許諾の証として直筆サイン入りです。100部限定となっており、希少性の高い逸品となっております。只今、絶賛予約受付中です!ご予約・ご注文に関する詳細は、下記のQRコードよりご覧ください。


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November 10, 2017

浅井忠と明治美術学校


 朝晩めっきり冷え込むようになってまいりました。小石川後楽園の紅葉は例年11月中旬からが見ごろ、そろそろですね。
 さて今回は、今年没後110年を迎えた日本洋画の開拓者、浅井忠(1856~1907)と、かつて小石川にあり浅井が関わった明治美術学校について記します。

 浅井忠、幼名忠之丞は、1856年(安政3年)江戸木挽町の佐倉藩中屋敷に佐倉藩重臣伊織常明の長男として誕生しました。父の死によりわずか7歳にして家督を相続し、佐倉に移住します。

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佐倉城址には浅井忠の友人、正岡子規の句碑がありました。
「常盤木や冬されまさる城の跡」



 10年を佐倉で過ごした後再び上京し、1876年(明治9年)、20歳にして国沢新九郎の画塾彰技堂で初めて洋画を学びました。同年工部省により開校されたばかりの工部美術学校に入学し、バルビゾン派の流れを汲むイタリア人画家アントニオ・フォンタネージの指導を受けました。しかし敬愛するフォンタネージはわずか2年後の明治11年に辞任・帰国してしまい、後任の教授に不満を抱いた浅井や小山正太郎、松岡寿ら多くの学生は自主退学を選び、十一会を結成しました。その影響もあってか、工部大学校は5年後に閉鎖されます。

 その後1887年(明治20年)、文部省により東京美術学校(東京藝術大学の前身)が開校されますが、設置された学科は日本画、木彫、彫金のみで洋画は意図的に排除されました。反発した浅井ら洋画家は、1889年(明治22年)明治美術会を設立し独自に洋画の普及、発展を目指します。明治美術学校(当初は「明治美術会教場」)は同会が設けた洋画教育機関です。

 1890年(明治23年)頃は京橋区内にあり、翌1891年(明治24年)の春上野公園内の華族会館に事務所を構えた明治美術会ですが、財政難から同年本郷龍岡町に移転、更に翌1892年(明治25年)に小石川伝通院の裏手にあった「鼠色に塗られた木造の洋館」へ移ります。移転先の「小石川表町109番地(文京区小石川3丁目)」は、元陸軍省用地の荒地を切り開いて新たに道を通した場所で、現在「舞姫通り」と呼ばれている小路沿いの住宅街一帯にあたります。明治美術会事務所があった正確な位置は、残念ながら分かりませんでした。浅井は当時自宅のあった下谷根岸から、馬で通っていたそうです。(余談ですが、舞姫通りの北西側の端からさらに200メートルほど進むと当社裏門に至ります。)

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小石川伝通院界隈


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舞姫通り 通りの両端にバレエやダンスのスクールがあります。


 小石川移転2年後の1894年(明治27年)、明治美術会はアトリエ機能の強化などを目的に建物を改築し、これまでの教場を明治美術学校と改称しました。設計は東京駅設計者として広く知られる帝大教授の辰野金吾。辰野はまた明治美術学校の校長に就任します。浅井は風景画の主任を務めました。弟子の石井柏亭によると当時の小石川は「家がまだまばらで画になる材料があった」ので、「時には教場の近くで風景写生をする生徒達を浅井が批評したり」する姿が見られたそうです。近隣で生まれ育った小説家永井荷風は、少年時代にそうした浅井を目撃していたのでしょう。小石川について記した随筆のなかで浅井に触れています。

 その後の明治美術会ですが、1896年(明治29年)、黒田清輝、久米桂一郎、岩村透ら海外留学組を中心とするメンバーが退会し白馬会を創設、また同時期に東京美術学校に洋画科が新設され、黒田、久米が教授に就任しました。白馬会は「新派」あるいは「外光派」、明治美術会が「旧派」あるいは「脂(やに)派」と呼ばれる風潮となり、浅井ら明治美術会には逆風が吹きます。翌1897年(明治30年)明治美術学校は閉鎖され、その4年後明治美術会も解散しました。

 浅井は明治美術学校閉鎖後、下谷上根岸町の自宅(現在の鶯谷駅前、元三島神社附近)に家塾「根岸倶楽部」を置き、後身の指導育成にあたりました。1898年(明治31年)の東京美術学校騒動後、ようやく美術学校洋画科に白馬会以外の教授を置くこととなり、明治美術会に推されて浅井が教授に就任します。翌年、パリ万博の鑑査官としてまた文部省の命による留学のためフランスへ渡り1902年(明治35年)まで2年余り滞在します。バルビゾンにほど近いグレー村を気に入り、油絵のほか多くの水彩画を制作しました。
 東京の美術界に嫌気がさした浅井は、帰国後京都に転居し京都高等工芸学校教授に就任。翌1903年(明治36年)には聖護院洋画研究所、後の関西美術院を設立し、後身の育成に注力しました。巨匠、梅原龍三郎や安井曾太郎はここで直接浅井の指導を受けた生徒のひとりです。また向井潤吉は、浅井の没後ですが関西美術院で洋画の基礎を学びました。

 文豪夏目漱石と浅井は、共通の友人正岡子規の紹介で知り合ったと思われますが、浅井が漱石の処女小説『吾輩は猫である』の挿画を描くなど深い親交がありました。浅井が1907年(明治40年)に亡くなり、翌年明治美術会の後身たる太平洋画会の第6回展で回顧展が併催されると、漱石は小説『三四郎』のなかで「深見画伯」の遺作展に仮託し、この浅井の回顧展を描きました。亡き友に寄せた漱石の想いが伝わってきます。

 浅井忠は、51年の生涯を通し洋画を志す若者たちの育成に力を注ぎ、近代洋画壇の礎を築きました。また小石川の地が、彼の活動を支える一端を担いました。最後に、『三四郎』のなかから、浅井の作品について語った言葉をご紹介します。画家原口(黒田清輝がモデルと言われます)が美彌子と三四郎に語った言葉です。

 「深見さんの水彩は普通の水彩のつもりで見ちゃいけませんよ。どこまでも深見さんの水彩なんだから。実物を見る気にならないで、深見さんの気韻を見る気になっていると、なかなかおもしろいところが出てきます」




【参考】 明治美術会略史 (石井柏亭『浅井忠 画集及評伝』他をもとに編纂)


1889年 明治22年
2月下旬、本多錦吉郎、小山正太郎、柳源吉、浅井忠、松岡寿、松井昇、長沼守敬らの発意協議により明治美術会の仮規則草案作成される。
4月9日、相談会開催され山本芳翠、渡辺文三郎、佐々木三六ら賛同。当日出席できなかった曽山幸彦、川村清雄も賛同。
4月19日、第三回美術家親睦会(根岸「伊香保」にて)でより広い範囲に会則が示されるが依存なし。
5月、明治美術会創立される。会頭に渡辺洪基(帝大総長)就任。春秋2季に展覧会開催を定める。展覧会のための学術委員15名、事務委員20名を互選。浅井は双方に選ばれたが学術委員は辞退。第一回展の会場は上野不忍池畔にあった共同競馬会社の馬見所、会期は10月20日から29日に決定。(開会後11月3日まで延長、11月4日には明治天皇の皇后、昭憲皇太后が行啓)浅井は「馬蹄香」、「春畝」(東京国立博物館)、「山驛」の3点を出品。
12月、明治美術会第1回大会開催。


1890年 明治23年
この頃、京橋区内に事務所を構えていた。(明治23年4月付有志者親睦会案内書面、同年10月11日付月例会案内書面)
4~7月、第3回内国勧業博覧会を上野で開催。明治美術会は春季展を見合わせ内国勧業博覧会に出品を決定。浅井、小山、松井、川村らは出品せず。明治美術会から小山、松岡、長沼らが油画の審査官に加わる。
4月27日、明治美術会第2回大会開催され文学博士外山正一が講演し物議をかもす。
9月3日、華族会館が鹿鳴館に移転。跡地は学習院分校となる。
9月、渡辺会頭が特命全権公使に任ぜられ、田中不二麿が新たな会頭に就任。
11月、第二回明治美術会展覧会開催(上野公園旧華族会館)され、皇后(昭憲皇太后)、皇太后(公明天皇の女御、英照皇太后)、皇太子(大正天皇)行啓。浅井は「漁村」二図、「漁磯」、「収穫」(東京藝術大学蔵)の4点出品。


1891年 明治24年
明治美術会、4月より旧華族会館を永続的使用することとなる。旧華族会館に事務所を置き展覧会や月次会を行い7月から常設の陳列館を開く。
11月、地代による負債が嵩み、旧華族会館の事務所を閉鎖、本郷龍岡町へ移転。


1892年 明治25年
1月、明治美術会事務所に仮教場(絵画科、三学年)を開設。教授内容は、一学年~二学年前期は幾何画法と鉛筆、チョークによる臨画、二学年後期から三学年にかけては素描と着色の写生、透視画法(当時は「照鏡画法」と呼んだ)と解剖。彫刻科も計画されたが実現に至らず。絵画科教授は浅井のほか本多錦吉郎、加地為也、柳源吉、松井昇、松岡寿、平瀬作五郎(幾何学画法、透視画法)の計7名。
同月、明治美術会月次会開催され、本多が提議の「裸体画ノ絵画彫刻ハ本邦ノ風俗ニ害アリヤ否ヤ」を討議。浅井は時期尚早論を展開。
3~5月、第4回明治美術会展が芝公園弥生館にて開催される。浅井は水彩画1枚を出品するのみ。この頃浅井は、従兄弟の窪田洋平が計画した神田の「パノラマ」(「忠臣蔵」のジオラマと「富士」のパノラマ/明治23年暮れから製作開始し24年4月に開館、25年4月の神田大火で焼失)製作に時間を費やしていたため出品画が少ないとされる。浅井ら明治美術会の主だった画家が製作に従事した。
5月11日から6月30日まで第3回明治美術会展覧会開催。浅井は出品せず。また秋季展は開催されず。
6月、会事務所・教場を小石川表町109番地(伝通院裏の元陸軍省用地)にあった「鼠色」の木造洋館に移転。北畠大学建設用地となっていたところを建物ごと会が入手。浅井は根岸の自宅からよく馬で教場を訪れた。


1893年 明治26年
明治美術会、米国コロンブス世界博覧会への出品を取りやめる。
4月、第5回明治美術会展覧会開催(上野公園元博覧会5号館)。田中会頭が辞任し花房義質が就任。


1894年 明治27年
明治美術会事務所を改築(設計辰野金吾)。教場を明治美術学校と改称し、辰野金吾(建築家、帝大教授)を校長とする。(「辰野の設計によって北窓を改造したりしたのでそれは漸くアトリエらしいものになつた。廣い室の一つが人物寫生に充てられ、より小さいのが石膏寫生や臨模に充てられ、尚其外に事務室會議室もあつた。」石井柏亭『浅井忠 画集及評伝』より)浅井は風景の主任、松岡が人物の主任で、松井や本多はあまり実技指導を行わなかった。表町周辺はまだ家がまばらで画になる材料があり、教場の近くで浅井指導による風景写生が行われた。
夏、日清戦争勃発し浅井、時事新報の通信員の名目で従軍画家として戦地に赴く。
11月11日から末日まで第6回明治美術会展覧会開催される。浅井は出品せず。この年帰国した黒田清輝、「朝粧」を初めて出品。


1895年 明治28年
4~7月、京都で第4回内国勧業博覧会開催され黒田清輝「朝粧」を出品し物議をかもす。浅井は「旅順戦後の捜索」(東京国立博物館)を出品、二等妙技賞受賞。
10、11月明治美術会秋季展開催。浅井、「旅順戦後の捜索」、「樋口大尉小児を扶くる図」(油画)ほかに水彩画9点を出品。
浅井、明治29年頃まで教科書出版に注力。(金港堂『中学画手本』、吉川書店 中等教育『彩画初歩』、金港堂『新按小学画手本』など)


1896年 明治29年
6月、黒田清輝、久米桂一郎、岩村透ら明治美術会を退会し白馬会を創設。
東京美術学校に洋画科新設され黒田、久米講師となる。この頃から白馬会を新派、明治美術会を旧派と呼ぶ風潮興る。
明治美術会秋季展開催されず。
7月、浅井、元三島神社前の下谷上根岸町38番地に転居。


1897年 明治30年
4~5月明治美術会展覧会開催。浅井「漁婦」、「海上の春雨」、「房州根本村の景」2図、計4点出品。
明治美術学校閉鎖。浅井、自宅隣に家塾「根岸倶楽部(後の同友会研究所)」を置き後進を指導。


1898年 明治31年
3月、明治美術会創立10年記念展覧会開催。浅井「冬枯」を出品。
東京美術学校騒動の後、洋画科に白馬会以外の教授を置くことが議論され、明治美術会の推薦で浅井が教授となる。


1899年 明治32年
浅井、内閣よりパリ万博鑑査官に任命される。また文部省よりフランス留学を命ぜられる。


1900年 明治33年
2月、浅井、渡欧。(~1902年)


1901年 明治34年
11月、明治美術会解散。翌年、吉田博ら後身の太平洋画会結成。

October 7, 2016

秋、食べる芸術『お菓子調進所 一幸庵』を訪ねて


いつもブログ「美術趣味」をご覧頂きましてありがとうございます。
季節は秋です。
朝方少しひんやりすると、ふかふかの落葉に包まれたくなる東山魁夷の《行く秋》を思い起こします。
しかし、秋はなにより味覚を楽しみたい!
そこで共同印刷、手土産利用頻度ナンバーワン「栗ふくませ」を販売する和菓子店、弊社からは播磨坂を上ったところ小石川5丁目にあります『お菓子調進所 一幸庵』さんをご紹介したいと思います。


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こちらの風情ある外観「一幸庵」さん店舗は、茗荷谷駅からは徒歩5分。
名物はわらびもち、栗蒸し羊羹など顔となる名品を多々生みだし、夕方に寄ると売り切れてしまっていることも珍しくない人気沸騰中の老舗和菓子店です。
店主・水上力(みずかみちから)さんはロサンゼルスの美術館でのワークショップ、講演会など技術の継承にも精力的にご活躍され、今年のバレンタインデーにはテレビ番組でも番組史上初の和菓子職人として特集されるなど、世界を舞台に脚光をあびる稀有な存在でいらっしゃいます。
先日お忙しい中にも関わらず、一幸庵店主・水上力さんにお会いすることができましたのでその感動をお伝えいたします!


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水上力氏は昭和23年、戦前より名高い和菓子職人の家に生まれます。
自身の道を進むと決意し大学卒業後には京都と名古屋で修業を積み1977年に一幸庵を創業されました。
以来、繊細で芸術的な和菓子をつくり続け辿りついたのが、「お茶のうまさを引き立てる和菓子」だといいます。
特に日本の季節を四季のみならず、日本古来の節「七十二候(しちじゅうにこう)」という細分化された暦をコンセプトに72の季節の情景を表現した和菓子は前代未聞、うっとりするような芸術品です。


それを目で味わうことができるブランドブック、『IKKOAN』も今大変話題になっております。
こちらは水上氏のお菓子に魅せられた方々がクラウドファンディングにより資金を集め、日本の和菓子を世界に発信するため作られた、これまた大変美しい本なのです。(2016年グッドデザイン賞受賞)
去る今年の造本装幀コンクールにも出品されておりました。お茶の美味を引き立てる水上氏のお菓子そのもののように主張しすぎない紙の質感、和菓子のフォルムを思い起こさせるかわいくて現代的なタイトルロゴには本当に見入ってしまいました。


このように和菓子の世界で芸術的な表現をされている水上氏に質問させて頂いたのは、
「目で見ているだけでも満たされる美しい和菓子ばかり。グローバルな視点をもち日本人にとって大切な和菓子の存在を世界へ発信されている水上氏は、日々どのような物事からインスピレーションを得て和菓子づくりに反映されていらっしゃいますか?また休日は何をされていますか?」
ということ。

その問いに水上氏は、
「たまに駅前のスーパーに買い物に行ったり、予約が取れたら食事にでかけたり。休みの日は半径5メートルでの生活。身近な四季の変化、例えば桜や紅葉、つゆ草など自然の細かい変化に気付くなど感性は常に養うようにしています」とのこと。
しかしある時期には積極的にさまざまなカルチャーから刺激を受けていたとのお話。
「青山や銀座のブティックのショーウィンンドーをみては色使いを勉強したり」
「一番ショックを受けたのは、パリでフォション本店に行った時。ワンダーランドだと思った、独特な色使いを和菓子に取り入れられないか、と思ったね」とのこと。
40代で世界を見ていたら今日本にはいなかったかもしれない、とも。


『IKKOAN』七十二候のうち六十九候に「雉始雊(きじはじめてなく)」という和菓子がありますが、それについての興味深い裏話も教えて頂きました。
「サモトラケのニケ(勝利の女神ニーケーの彫像)、ナイキのロゴ、社名の由来にもなっている彫像をルーブル美術館でみたことが印象に残っていてこんなデザインが出来上がった」とのお話。
「雉始雊(きじはじめてなく)」は、白一面の雪景色に一声鳴いて降り立った雉により雪に彩りが加わる情景が見たてられた繊細かつ鮮やかな和菓子。
雉は強い発色でシャープな流線型、はかなくもあり斬新で格好良いのです。写真でお見せできないのが残念ですが、そのセンスには脱帽です。
「和菓子の世界は制約が無く何をやってもいいからね」とのこと。色々お伺いしていくとやはり絵画や版画もお好きだとのこと、水上氏の感性やインスピレーションにはやはり半径5メートル以上のものが詰まっているようです。


また、文化的レベルの高い世界各国のパティシエから称賛をうけ、教えを請われている水上氏ですが、
「日本文化は明治維新以降、欧米への劣等感など引きずっているものもあるがグローバルになろうと思えばなれる。ただしこちらは草食、相手は肉食だから最低限の知識をもってきちんと日本文化を理論武装していかないと」とおっしゃいます。
「日本人は五感で食べるし、腹八分目の文化。お腹一杯にならなくてもその分誰かに分けてあげられるんだよ」とのお話。
またバレンタインにはもっと和菓子を贈る人が増えて欲しい、と。「古来日本人は毎日歌を詠んで贈っていたのだから...」
水上氏だからこそ語ることができるグローバルな視点には改めて日本文化の魅力をひしひしと感じさせられます。


そしてやはり、職人でいらしゃいます。
栗の下処理をしている水上氏、動きはとても早く大量の栗をあっという間にさばいていきます。
素早い動作、刃が入る瞬間だけ別のリズムになります。
失礼ながら手先が震えているのかと思ったほど。ではなくほんの一瞬あまりにも柔らかく繊細なタッチに変化するのでした。
その感性やお味にはもちろんですが、何より手さばきに驚嘆させられました。


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皆様も是非お近くに寄られた際は、食欲の秋、食べる芸術を楽しんでみてください!!


一幸庵(いっこうあん)
東京都文京区小石川5-3-15
※営団地下鉄丸の内線:茗荷谷駅より徒歩5分
Tel: 03-5684-6591

一幸庵ブランドブック『IKKOAN』

April 8, 2016

満開の桜と四季の花々~小石川植物園より~


 いつも美術趣味をご覧いただきありがとうございます。
 春麗らかに、弊社近隣の桜並木(播磨坂)では今年も「文京区さくらまつり」が開催され、多くの人で賑わっています。実は、文京区小石川の弊社近隣にはもう一つ大きな自然公園があることはご存知でしょうか。今回は『小石川植物園』をご紹介いたします。

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 通称『小石川植物園』と呼ばれ親しまれているこの施設は、正式名称を『東京大学大学院理学系研究科付属植物園』、すなわち東京大学が植物学に関する様々な研究・教育を行っている教育学習施設です。この植物園は日本で最も古い植物園であるだけでなく、世界でも有数の歴史を持つ植物園のひとつです。

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 面積は161,588㎡(48,880坪)で、台地、傾斜地、低地、泉水地などの地形を利用して様々な植物が配置されており、植物標本は約70万点、また植物学関連図書は約2万冊あり、内外から多くの植物研究者に活用されています。

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 6年ほど前(2010年7月)、"世界最大の花"を咲かせるというサトイモ科の植物「ショクダイオオコンニャク」が開花したことも話題となりました。直径約1メートル×高さ1.5メートルのその花は子供が両手で抱えきれないほどの大きさで、インドネシア・スマトラ島で絶滅危惧種に指定されているほど貴重な植物。1993年に種をまいて17年目に開花するという素晴らしい成果が印象に残っています。

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 長い歴史を物語る数多くの由緒ある植物たち。美しい四季の移ろいを感じ取ることができる小石川植物園へぜひ足をお運びください。



【小石川植物園

約320年前の貞享元年(1684年)に徳川幕府が設けた「小石川御薬園(こいしかわおやくえん)」がこの植物園の遠い前身で、明治10年、東京大学が設立された直後に付属植物園となり一般にも公開されてきました。

住 所  東京都文京区白山3丁目7番1号
開 園  10:30~16:30(入園は16:00まで)
料 金   一般:400円、小中学生:130円、その他、団体割引有。
休 園  年末年始、月曜日(月曜が祝日の場合はその翌日)   
交 通  都営三田線「白山駅」より徒歩約7分
     東京メトロ南北線「本駒込駅」より徒歩約13分
     東京メトロ丸ノ内線「茗荷谷駅」より徒歩約15分


December 18, 2015

【新作】 小倉遊亀《爛漫(らんまん)》のご案内


 いつもブログ『美術趣味』をご覧頂きましてありがとうございます。12月も半ばに入りそろそろ年末・年越しの季節になってまいりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。外気がポカポカとして10月や11月の様な陽気で冬らしくない日が続きますが、それでも朝晩は冷え込むこの季節、体調を崩しがちになるかと思います。どうぞ皆様、体をご自愛くださいませ。


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 弊社界隈に隣接する小石川植物園内は、この暖かい陽気のせいか色づいた草花が12月でも紅葉を満喫する事ができます。正門から鮮やかな黄色い葉が眩しいイチョウの木。並木道を抜けると紅く艶やかな葉を茂らせたメグスリノキの木が目に留まります。園内は紅葉を楽しんで散策している方も多く、散り積もった落ち葉を踏みながら楽しそうに歩いている親子もいて心和みます。

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20151218komiti.jpg 【小石川植物園のご案内】

正式名称 東京大学大学院理学系研究科付属植物園
     ※国指定名勝及び史跡
所在地  東京都文京区白山3丁目7番1号
電 話  03-3814-0138
FAX  03-3814-0139
入園料  大人(高校生以上)400円
小人(中学生、小学生)130円
開園期間 1月4日~12月28日
休園日  月曜(月曜が祝日の場合はその翌日
月曜から連休の場合は最後の祝日の翌日が休園日)
開園時間 午前9時~午後4時30分(但し入園は午後4時まで)
アクセス ・都営地下鉄三田線 白山駅下車 A1出口 徒歩約10分
     ・東京メトロ丸ノ内線 茗荷谷駅下車 出入口1 徒歩約15分
     ・都営バス(上60)大塚駅~上野公園線 白山2丁目下車 徒歩約3分



 さて弊社ではこの度、小倉遊亀《爛漫(らんまん)》の彩美版®を販売開始いたします。この作品は、小倉遊亀の母校の奈良女子大学の講堂の緞帳原画として描かれたました。奈良女子大学の五階から見た若草山の山並みを背景に満開に咲き誇る巨木の桜が描かれ、左の上手に東大寺、右下手に興福寺の五重塔が見え、春の奈良の情景が伺えます。
画面いっぱいに咲きほこる桜は力強く、桜の華やかさと共に凛とした美しさと清さに溢れ画家の思いが込められています。その原画の持つ微妙なニュアンスや画家の筆遣いといった絵の鼓動を当社が誇る彩美版の技法にて再現いたしました。是非お手元でお楽しみください。

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彩美版®
小倉遊亀 《 爛漫 》

販売価格 200,000円+税
限定250部発行


<仕様体裁>
原 画 国立大学法人 奈良女子大学(京都国立近代美術館寄託)
監 修 有限会社 鉄樹
解 説 柳原正樹(京都国立近代美術館館長)
限 定 250部
技 法 彩美版®、シルクスクリーン手摺り
用 紙 版画用紙(かきた)
額 縁 特注木製シルバー仕上げ、アクリル付き
証 明 著作権者承認印を奥付と画面左下部に押印
画 寸 天地28.4×左右68.0㎝(15号大)
額 寸 天地48.6×左右88.2㎝
重 量 4.3㎏
発 行 共同印刷株式会社

※「彩美版®」は共同印刷株式会社の登録商標です。


October 16, 2015

紅葉の季節を迎える小石川後楽園


20151016entrance.jpg いつも美術趣味をご覧いただきありがとうございます。弊社の所在地である文京区小石川付近には、東京ドーム、ラクーア、小石川植物園など様々な施設や観光名所があります。その中でも今回は、都内屈指の美しい紅葉名所として知られる「小石川後楽園」を"一足早く"ご紹介いたします。

 小石川後楽園は江戸時代初期に水戸徳川家の江戸上屋敷内につくられた築山泉水回遊式(池を中心にした回廊型の造り)の日本庭園(大名庭園)であり、国の特別史跡及び特別名勝に指定されている都立公園です。
 寛永6年(1629)初代藩主頼房が庭の造営に着手し、二代光圀に引き継がれました。園名は中国・北宋時代の文人、范仲淹(989~1052)が著した『岳陽楼記』中の一節「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ(先憂後楽)」に因んで光圀が命名したそうです。

20151016kourakuen_park.jpg 7万平方メートル以上の広大な園内には、梅、松、桜、ツツジ、花菖蒲、稲、ススキなど数多くの植物が植えられ、四季を通じて情緒溢れる景色が広がっています。今の季節は写真の通り緑豊かな木々に囲まれている様子ですが、11月に入るとイロハモミジやハゼ、ケヤキ、イチョウなどが紅葉し、通天橋や紅葉林などの紅葉が緻密に計算された園内に所狭しと趣深く色づきます。特に、京都・嵐山を再現した大堰川付近は、多くの木々が色づく絶景ポイントとなります。

20151018maccha_tea.jpg 歩き疲れたら、園内にあるお食事処『涵徳亭美都屋(かんとくていみとや)』へ。ランチのお弁当だけでなく、甘味やお茶、お酒もあるので、天下の庭園を眺めながらのんびりと過ごすこともできます。間もなく紅葉の季節。この名園で美しく長閑な時間をお過ごし頂ければ幸いです。



※「小石川~」と冠したのは、岡山の「後楽園」と区別する為です。隣接する野球場はその名にちなみ『後楽園球場(現:東京ドーム)』と名づけられました。



【都立小石川後楽園】

所在地 東京都文京区後楽1-6-6
電 話 03-3811-3015
入 園 9:00~16:30(閉園17:00)
休 園 年末年始(12月29日~翌年1月1日)
入園料 一般:300円、65歳以上:150円
    小学生・都内中学生は無料。
    その他、団体割引有。
交 通 後楽園駅(丸ノ内線・南北線)より徒歩8分
    飯田橋駅(JR、大江戸線・東西線・有楽町線・南北線)より徒歩8分


April 10, 2015

江戸の花見と上野の桜


20150410kaneiji.JPG 昔から桜の名所として知られる上野恩賜公園とその周辺は、明治維新を迎えるまでは全域が東叡山寛永寺の境内でした。公園の平面プランは寛永寺であった当時とあまり大きく変わっていません。京成上野駅のある側に正面口(総門)となる黒門があり、噴水広場のあたりには寺の中心となる根本中堂がありました。さらに奥となる東京国立博物館がある場所には本坊があり、上野動物園や東京都美術館、東京芸術大学、西洋美術館、科学博物館などがある公園周辺には多くの子院が立ち並んでいました。戊辰の役の戦火でほとんどの堂宇が焼け落ちましたが、清水観音堂(重要文化財、1631年建立)は奇跡的に当時のまま残されています。

20150410kiyomizudou.JPG 寛永寺は江戸城の鬼門を守護するために、天海(1536?~1643)が二代将軍徳川秀忠よりこの地を与えられ寛永二年(1625)に本坊を建立したのが始まりです。天海は奈良・吉野の桜をこよなく愛し、わざわざ吉野山から桜を取り寄せて植樹したと伝えられています。

その後、儒学者・林羅山(1583~1657)が三代家光より上野忍岡の一画を与えられ、私塾や文庫、孔子廟を建てました。羅山は孔子廟の垣根に沢山の桜樹を植えるとともに私塾を「桜峰塾」と名づけました。「桜ヶ峰」と呼ばれたその場所は、今「西郷隆盛像」があるあたりで、江戸時代には山内でもひときわ桜樹が多い場所として知られました。

 こうして上野の山一帯は江戸第一の桜の名勝と言われるようになり、多くの花見客で賑わいました。江戸後期の天保年間に刊行された「江戸名所図会」にはその有様が以下の通り記されています。今から180年ほど前の上野の花見の様子ですが、現在と全く変わるところがありませんね。

『抑(そもそも)当山ハ江戸第一の桜花の名勝にして、一山花にあらずと云所なし。いにしへ、台命によりて和州吉野山の地勢を模し植させらるゝか。故に花に速あり遅ありて、山上山下盛をわかてり。弥生の花盛には、都鄙の老若貴となく賤となく、日毎に袖を連てここに群遊し、花のために尺寸の地を争ふて、帷幕を張筵席を設く。詩歌管弦ハ鶯声に和し、錦衣繡裳ハ花影に映し、愛玩賞咏日の暮を志らず。』(「江戸名所図会」巻5 東叡山寛永寺)



 上野の山にも数多く植えられている「ソメイヨシノ(染井吉野)」は、江戸時代にエドヒガン系のサクラとオオシマザクラを掛けあわせて作出されたと言われ、当時は古来有名な吉野山の桜にあやかり「吉野桜」と呼ばれたそうです。人工交配で生れたソメイヨシノは種子では増えず接木で増やすため、すべての個体が同じ遺伝子を持つクローンです。それまで主流だった野生種のヤマザクラと比べて、花が華やで成長も早いことから人気となり全国に広まりました。今では、わたしたちが眼にする桜のほとんどがソメイヨシノであることは皆様もよくご存知のこととと存じます。

20150410_komatsunomiya.JPG 先月の半ば、ソメイヨシノの原木が発見されたとの報道がありましたが、皆様お気づきでしたでしょうか。千葉大学で植物分子遺伝学を研究されている中村郁郎教授のグループが上野恩賜公園の「小松宮親王像」周辺の桜を調査し、ソメイヨシノの原木の可能性が高い木を発見し、三月下旬に玉川大学で開催された日本育種学会春季大会で発表しました。詳細は「上野公園の'ソメイヨシノ'原木候補について」というタイトルで学会ホームページに掲載されておりますので、ご興味を持たれた方はそちらをご覧ください。

20150410syokubutsuen.jpg さてソメイヨシノを作出した植木屋とはどんな人物だったでしょうか。元筑波大学教授・岩崎文雄先生の研究によれば、江戸・駒込染井村(現在の豊島区駒込七丁目付近)に住んだ、伊藤伊兵衛政武(1667~1757)であると考えられるそうです。伊兵衛は八代将軍吉宗(1684~1751)に重用され、将軍家の植木職を務めました。現在小石川植物園の入口近くにあるソメイヨシノの古木は、伊兵衛が植えたものと推定されるそうです。小石川植物園は江戸幕府が設置した小石川薬種園の跡で当社のお向かいにあります。

20150410somei.JPG 吉宗は質素倹約を旨とする享保の改革を押し進めるとともに、飛鳥山や向島の隅田川に桜を植樹し庶民に憩いの場を提供しました。都内にある古くからの桜の名所は、歴代将軍の整備によるところが少なくありませんが、ことに吉宗の果たした役割は大きかったと言えるでしょう。

January 16, 2015

日々穏やかに


20150116camellia_red.jpg いつもブログ『美術趣味』をご覧頂きましてありがとうございます。

まだまだ寒さが厳しい日が続きますが、陽だまりの中を歩くと寒さも和らぎ大分暖かく感じられるよううな陽気になってきました。皆様いかがお過ごしでしょうか。暦は「小寒」これから「大寒」と寒さが体にしみますが、水仙の花などの草木を目にすると少しだけ春の気配を感じます。

20150116camellia_white.jpg ついこの間は山茶花が見ごろでしたが、椿も冬からよく目にするようになりました。艶やかな赤色、気品ある白色の花が青く澄み渡った冬空によく映えます。よく似ている山茶花は椿の近縁種だそうです。両者は区別がしにくいのですが、簡単な見分け方があります。花が平開(大きく)開いて咲いて花びらが個々に散るのが山茶花。花が平開せずお椀のような形で咲き、花が散る時は萼(がく)と雌しべだけ木に残して花が丸ごと落ちるのが椿です。花の咲いている様子からもなんの花か解るものですが、木々の下の様子を見てどんな花か推測して判明して気づく事がとても楽しく感じます。

 身近に木々や花を愛で楽しむひと時を。



【小石川植物園のご案内】

正式名称 東京大学大学院理学系研究科付属植物園
     ※国指定名勝及び史跡
所在地  東京都文京区白山3丁目7番1号
電 話  03-3814-0138
FAX  03-3814-0139
入園料  大人(高校生以上)400円/小人(中学生、小学生)130円
開園期間 1月4日~12月28日
休園日  月曜(月曜が祝日の場合はその翌日、月曜から連休の場合は最後の祝日の翌日が休園日)
開園時間 午前9時~午後4時30分(但し入園は午後4時まで)
アクセス ・都営地下鉄三田線 白山駅下車 A1出口 徒歩約10分
     ・東京メトロ丸ノ内線 茗荷谷駅下車 出入口1 徒歩約15分
     ・都営バス(上60)大塚駅~上野公園線 白山2丁目下車 徒歩約3分

September 12, 2014

実りの秋


aki_bare.JPG このところ全国的に不順な天候がつづいていますが、一昨日の東京は1時間に100mm以上という記録的な大雨が降り、あちこちで冠水被害がありました。
 秋らしい爽やかな晴天を恋しく思っていたら、その想いが通じたのか今朝の小石川は久しぶりの青空に恵まれました。夏の濃い青とは明らかに異なる、柔らかな水色の青が心に沁みます。






nobori.JPG 秋は稲などの穀物や木の実、果実が実る時期であり、そうした恵みに感謝し豊饒を祝う祭りの季節です。当社周辺では今、街路に沿って近くの簸川(ひかわ)神社の秋祭りを知らせる幟が掲げられています。

 ※簸川神社は江戸時代には氷川明神と呼ばれた旧小石川村の鎮守です。今は文京区千石二丁目に鎮座しますが古くは当社のお向かい現在の植物園内にありましたが、江戸時代前期の承応年間、この地に徳川将軍家の白山御殿が設けられることになり今の地に遷座したと伝えられます。




inaho.JPG 豊かな稔りの季節を迎えた北総の谷津田です。既に稲刈りが始まっていました。見渡す限り広がる稲穂の波は黄金色に色づき重く穂を垂れて収穫の日を待っています。






 秋はこうした恵のお陰で、一際食べ物がおいしい季節でもあります。サンマの塩焼き、松茸ご飯、秋茄子の素揚げに新蕎麦。数え上げたら限りがありません。食いしん坊の私にとっては待ちに待っていた嬉しい季節の到来です。豊かな秋の実りに感謝しつつ心行くまで味わいたいものですね。

August 8, 2014

行く夏を惜しむ


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いつもブログ『美術趣味』をご覧頂きましてありがとうございます。
昨日は「立秋」、暦の上では秋を迎えました。

連日30度を超える気温が続きまだまだ真夏のような暑さですが、ふと空を見上げると澄んだ青空が少し高くなり、入道雲の上にはいわし雲やうろこ雲が重なり、塩辛トンボや麦藁トンボが軽やかに飛ぶ姿が見られるようになりました。去る夏の後姿と訪れた秋の憂いを帯びた眼差しが交差する季節の移ろいを、しみじみと感じます。
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お盆を前に各所で夏を送る行事が盛んですね。
ここ東京の小石川、千駄木界隈では「こんにゃく閻魔」の別名で知られる源覚寺境内で「ほおずき市」が、伝通院では「朝顔市」、光源寺駒込大観音では「ほおずき市」が開かれます。眩い朱色のほおずきに清楚な色合いを見せる朝顔と私たちの目を楽しませてくれます。


華やかな祭の後に漂う、そこはかとない哀愁にも似た余韻を残して夏は去って行きます。





さて今回は暮らしの中にある、なにげないひと時の幸せを感じさせる作品をご紹介いたします。

上村松園 《虹を見る》
限定 300部発行
販売価格 140,000円+税



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<仕様体裁>
監修 上村淳之
原画 京都国立近代美術館所蔵
技法 彩美版(R)、シルクスクリーン手刷り
用紙 特製絹本
額縁 特製木製和額、アクリル付(国産、ハンドメイド)
画寸 天地32.5×左右65.5cm
額寸 天地49.5×左右82cm
重量 3.4kg
発行 共同印刷株式会社

※「彩美版(R)」は共同印刷株式会社の登録商標です。


June 20, 2014

紫陽花だより

ajisai3.jpgいつもブログ『美術趣味』をご覧頂きましてありがとうございます。
梅雨の晴れ間に目を細め、遠く空に積乱雲を見つけると、今さらながら「もう夏なんだなあ...」と感じてしまいます。
皆様いかがお過ごしでしょうか。



ajisai2.jpgここ文京区小石川界隈は、道行く先々に紫陽花がきれいに咲き始めました。
つい先日、近くの白山神社境内で「あじさいまつり」が開催されていました。雨に濡れた紫陽花はことに風情がありますね。



ajisai1.jpg私の住まい近くでもあちらこちらに紫陽花が咲き始めてます。紫陽花の色と言えば「青」「赤」色と2色しかないと思っていましたが、今は白や淡い緑色の紫陽花がありとても驚きました。色とりどりの咲いているのを見るのは目にも心にも楽しいものです。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


さて今回は、当社ラインナップの中から紫陽花を題材にした 中村岳陵「八仙花」と山口蓬春「榻上の花」の2作品をご紹介いたします。



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中村岳陵 《八仙花》
販売価格 120,000円+税


梅雨の合間でしょうか、静かに咲く額紫陽花の横で麦藁とんぼが羽を休めています。静謐な世界を澄んだ色彩で描き、画家の凛とした画風が窺えます。

<仕様体裁>
原画 華鴒大塚美術館所蔵
解説 谷岡 清(美術評論家)
技法 彩美版(R)
画寸 天地42.6cm×左右52.6cm
額寸 天地60.7cm×左右70.8cm
重量 約3.6kg
用紙 特製絹本
額縁 特製木製額、アクリル付(国産、ハンドメイド)

※ この作品は軸装もございます。
※ 「彩美版」は共同印刷の登録商標です。






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山口蓬春 《榻上の花(とうじょうのはな)》
販売価格 160,000円+税


窓際の椅子(「榻(とう)」)には白いポットに生けた紫陽花と洋梨が、色鮮やかな色彩で描かれています。カーテンの模様・床や壁の色や構成に画家の独創的な感性が光ります。

<仕様体裁>
原画 東京国立近代美術館所蔵
監修 山口蓬春記念館
解説 笠 理砂(山口蓬春記念館)
限定 200部
技法 彩美版(R)IWA-E
画寸 天地52.5cm×左右33.5cm
額寸 天地69cm×左右50cm
重量 約2.5kg
用紙 版画用紙
額縁 特製木製額金箔仕上げ、アクリル付(国産、ハンドメイド)
証明 著作権者承認印入り証紙を額裏に貼付

※「彩美版」は共同印刷の登録商標です。
※「彩美版IWA-E」は日本画特有の画材、岩絵具の質感と色調を再現するために生み出された画期的な技法です。(当社特許保有)
日本画の画材として用いられる胡粉や方解石を細かく砕いた「岩胡粉」(岩絵具の一種)をふんだんに使用し、岩絵具特有のざらざらとした質感、風合いをつくりだしました。

March 14, 2014

【新商品】 彩美版・小倉遊亀 「椿」


tsubaki_red.JPGいつも当ブログをご覧いただきありがとうございます。
今回は新商品、小倉遊亀画伯「椿」のご紹介です。

ポカポカ陽気の一日、当社のお向かいにある小石川植物園を訪ねました。幼稚園のお子さんたちが元気いっぱいに走り回っていました。
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園内ではまだ蕾の木々が多い中、一足はやく椿が満開となっていました。
きっと小倉画伯も、このような晴れた日に咲く椿を眺め、この作品へ思いを込めたのではないでしょうか。

春はもう、間もなく。鮮やかな「椿」の美しさを、ぜひご堪能ください。






小倉遊亀 《椿》 額装
販売価格 230,000円+税


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<仕様体裁>

技法 彩美版(R)、シルクスクリーン手刷り、本金泥を使用。
用紙 版画用紙(かきた)
限定 300部
監修 有限会社 鉄樹
解説 谷岡 清(美術評論家)
証明 画中及び奥付シールの2箇所に著作権者承認印捺印
額縁 特製木製額金泥仕上げ(国産、ハンドメイド)
画寸 39.2㎝×64.8cm
額寸 58.0cm×84.0cm 
重量 約5.2kg
発行 共同印刷株式会社

※ 「彩美版」は共同印刷株式会社の登録商標です。

February 7, 2014

春の兆し


皆様いつも「美術趣味」をご覧いただきありがとうございます。

まだまだ朝晩は冷え込みますが、少しずつ春の気配が感じられるようになりました。冬から春へと季節が移り変わるこの時期は、誰もが嬉しく待ち遠しく感じる時期ではないでしょうか。先日、文京区目白台の永青文庫に伺ったおり、神田川沿いの江戸川公園で春の兆しを見つけました。

神田川は井の頭公園内の井の頭池を源とし古くは平川(ひらかわ)と呼ばれ現在の日比谷付近にあった日比谷入江へ注いでいました。徳川家康は神田山(現在の駿河台)を切り崩して日比谷入江を埋め立てるとともに江戸の飲料水確保のため平川を改修し神田上水を設けました。

現在の江戸川公園付近に取水堰(関口大洗堰)を設置して平川の流れを分け、水戸藩邸(後楽園)を経て江戸市内へ向かう上水道を引きました。神田上水は江戸市民の生活になくてはならないものとなり明治30年代まで使われていました。

江戸川橋から飯田橋にかけて神田川と並行するように走る「巻石通り」は神田上水の流路です。このあたりの地名が文京区水道と言うのはその名残です。

今では神田川はソメイヨシノが咲き誇る都内有数の花見スポットです。「春にはまた来なくちゃ...」と思いながら川沿いの径を歩いているとそんな気持ちを察してか、江戸川公園で美しく咲く紅白の梅が温かく迎えてくれました。
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紅白という2色のコントラストは、紅白幕や紅白饅頭など縁起物としてお祝い事によく使われておりますが、この季節の自然を彩る紅白梅は、まさに春の到来を祝っているかのように感じました。皆さまも暖かい日はぜひ外へ散歩にお出かけになり、春の兆しを感じて頂ければ幸いです。




【文京区江戸川公園のご紹介】

所在 東京都文京区関口2-1
交通 東京メトロ有楽町線「江戸川橋」駅から徒歩3分


当社商品ラインナップから今年生誕130周年を迎える前田青邨の『紅白梅』をご紹介いたします。この作品はこちらでお求めになれます。



前田青邨 《紅白梅》
販売価格(軸・額) 各190,000円+税


淡く下地に金泥を刷いた画面に琳派に由来する垂らし込みの技法で華やかな紅白梅が描かれています。リズミカルにデザイン化された幹と枝は光琳の紅白梅図屏風を連想させます。よく観ると濃い紅色、淡い紅色、白色と異なる色の花を咲かせた三本の樹々があたかも家族のように互いを抱きあいながら複雑に絡み上方へと伸びています。香り高い梅の花が一面に咲き零れ上品で華やかな青邨独特の画面をつくりあげています。

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<仕様体裁>

■軸・額共通
原画 公益財団法人石橋財団 石橋美術館 所蔵
技法 彩美版(R)・シルクスクリーン手刷り
用紙 和紙
限定 300部
証明 著作権者の検印証紙を貼付

■軸装仕様
画寸 天地44×左右60.6cm
軸寸 天地135.7×左右75.7cm
軸装 三段表装
箱  柾目桐箱、タトウ入り

■額装仕様
画寸 天地43.9×左右60.3cm
額寸 天地65.5×左右81.9cm
重量 約5.8kg
額縁 木製金泥仕上げ特製額(ハンドメイド、国産)


※「彩美版(R)」は共同印刷株式会社の登録商標です。

July 26, 2013

夏到来


koishikawa_bg_maingate.JPGいつもブログ『美術趣味』をご覧頂きましてありがとうございます。
皆様、いかがおすごしでしょうか。
早い梅雨明けを迎えましたが、この頃の天気は梅雨時のような蒸し暑さが戻ったりとすっきしませんね。暑いのは苦手ですが、夏らしい爽快な青空を見たいものです。

当社界隈には東京大学大学院理学系研究科付属植物園があります。himaraya_Cedar2.jpg
一般には「小石川植物園」の名で親しまれ、植物学の研究・教育を目的とする東京大学の教育実習施設です。
約330年前!の貞享元年(1684)に徳川幕府が設けた「小石川御薬園」が前身の、日本で最も古い植物園です。
明治10年に東京大学の付属植物園となり一般公開され現在に至ります。面積は161,588㎡(48,880坪)、広大な敷地内は様々な植物が配置され四季折々の草花を楽しむ事ができます。

植物園の入り口から傾斜道を進む立派なヒマラヤ杉が立ち並び堂々たる姿は圧巻です。今は桜の葉が青々とて一面が清涼感溢れる風景ですが、桜の咲く時期はまた格別です。

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それから少し進むと桜並木の庭園へと続きます。


【当社商品のご紹介】

今回ご紹介するのは、中島千波画伯の「向日葵」です。
青と黄色のコントラストが目に鮮やかな、元気の出る絵です。



「四季の花がたり【特装版】」より
中島千波 《向日葵(ひまわり)》
販売価格 73,500円(税込)

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<仕様体裁>

監修・解説 中島千波
限定 300部
画寸 20.5cm×25.0cm(2号)
額寸 39.5cm×44.0cm
技法 彩美版(R)、シルクスクリーン手摺り
用紙 版画用紙
額縁 金泥仕上げ特製木製額、ハンドメイド(アクリル付)
重量 約2.0kg
証明 作者承認印、限定番号入り証書を額裏に貼付




【今日の谷根千】

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◇千駄木で美味しい夏をみつけました。

「あめ細工 吉原」
東京都文京区千駄木1-23-5 巴ビル1F
TEL:03-6323-3319

July 12, 2013

富嶽三十六景「礫川雪ノ旦(こいしかわゆきのあさ)」の謎


いつもブログ「美術趣味」をご覧いただきありがとうございます。
じりじりと太陽が照りつけ本当に暑いですね。外出時はもちろんのこと室内でも熱中症になる恐れがあります。節電は大切ですが体のためにはほとほどの冷房も必要ですね。
さて真夏に「雪の朝」とはいささか季節はずれな話題ですが、富士山がめでたく世界文化遺産へ登録されたのを記念し、当社が所在する東京小石川を描いた北斎の富嶽図をとりあげようと思います。

富士山は東京の西南西の方角に聳えています。距離にして約100km。手前に丹沢山系の黒っぽい山並みが連なりその背後からにょっきりと雪をいただく姿を覗かせています。高い建物のなかった江戸時代には坂の上や遮るものなく開けた海辺など江戸の各所から富士山が見えました。富士見坂あるいは富士坂と名づけられた坂がありますが今風に言えば富士を眺める絶好のビュースポットだったのでしょう。小石川にも当社のすぐそば東大植物園沿いの御殿坂(別名「富士見坂」)と春日通りを挟んで環三通り(桜並木)と対面に位置する藤坂(富士坂)の二つの富士見坂があります。(写真左が御殿坂、右が藤坂)
藤坂(富士坂)御殿坂(富士見坂)

都内にたくさんある富士見坂ですが、近年の高層建築ラッシュで眺望が遮られ富士が見えなくなってしまいました。最近まで富士が見えたのは日暮里富士見坂と大塚富士見坂の二つでしたが日暮里富士見坂は、世界文化遺産登録が決まる直前の今年6月20日頃、付近で建設中のマンションにさえぎられ富士の眺望を失ってしまったそうです。実に残念ですね。残る大塚富士見坂は大塚の護国寺前を通る不忍通りの一部です。当社から比較的近い場所ですのでいつか富士を眺めに行きたいものです。

本題に戻ります。天保2年ごろから天保4年ごろ(1831年ごろから1835年ごろ)にかけて刊行さた葛飾北斎の名作浮世絵版画「富嶽三十六景」は江戸を中心に各地の富士見の名所を描いた作品です。三十六景といいながら48点の作品が描かれています。好評につき後から10点追加したためで追加分は「裏富士」と呼ばれるそうです。人によって評価は異なるかもしれませんが「富嶽三十六景」48点中の代表作は「凱風快晴」「山下白雨」「神奈川沖浪裏」の三作でしょう。ことに「神奈川沖浪裏」は海外でも広く知られた代表作中の代表作と言って過言ないことと思います。

koishikawa_yukinoasa.jpg表題の「礫川雪ノ旦」はその名の通り小石川から見える冬の富士を描いた作品です。小石川のどの場所を描いたのでしょうか、何が描かれているのでしょうか?それが問題です。場所については徳川家ゆかりの名刹伝通院またはそのちかくの牛天神(北野天神)そばの茶屋付近とするのが定説のようですがだとすると当社から歩いてすぐの場所です。それだけに気になります。当時の人が見ればあそこだねと特定できる場所を選んで描いているはずです。謎を解く手がかりを見つけるために、まずは作品を仔細に眺めてみましょう。

一面の銀世界、冬の朝です。画面右のやや上に富士が描かれ空に三羽の鳥が舞っています。鳶でしょうか。左手前には切り立った崖から張り出した建物があります。飲食を供するお茶屋のようです。崖の下は家並が連なり雪をかぶった屋根屋根は美しいリズムを奏でています。崖上のお茶屋は二方が開け放たれた部屋が描かれその中に男性、女性のお客が二人づつおり、そこへお店の女性が猫足のお膳に乗せた食事を運んできたところのようです。女性客の一人が立ち上がって富士を指さしながら何か言っています。一面の銀世界の彼方に聳える富士の、この世のものとも思われぬ美しさに感動し心がはずんでいるのでしょう。
画面の中ほど、雪をかぶった屋根の波の向こうに青い広がりが見えますが川のようです。
以上から手がかりを整理すると、

① 富士が見える西側に開けた崖のある場所。
② その崖上には茶屋がある。
③ 崖の西側に川が流れている。
④ その場所は広く知られた名所である。
以上を満たす場所が作品に描かれたところということになりそうです。

ushitenjin_1842pix.jpgもう一つ手がかりとなりそうな江戸期の資料があります。『江戸名所図会(えどめいしょずえ)』です。富嶽三十六景とほぼ同時期に刊行された挿絵入りの名所案内本で、今で言えば都内とその周辺の観光ガイドです。小石川の名所も多数取り上げられていますが上記四要素をすべて満たす場所は一ヵ所だけでした。その場所とは小石川牛天神(北野神社)です。

「江戸名所図会」には南側から見える牛天神とその周辺を詳細に描いた挿絵が添えられています。「礫川雪ノ旦」とは描く向きが逆ですが情景がぴたりと一致します。西側の石段を登った右側には西南西を向いた崖に沿い茶屋が並び崖下には家並が連なっています。境内の南側には西から東へ小石川上水(神田上水)が流れています(牛天神に隣接する水戸藩上屋敷内に流れ込んでいました)。もっとも小石川上水の南側には上流の関口大洗堰で分かれた江戸川(現在の神田川)が流れていましたので「礫川雪ノ旦」画中の川が小石川上水なのか江戸川なのかは決めかねます。敢えて選ぶなら小石川上水でしょうか。小石川上水は牛天神のすぐ下を流れており川面がよく見えたはずです。江戸川はやや離れている上に間に家並もありましたので川面はあまりよく見えなかったのではないでしょうか。また作品名とも一致します。

牛天神の石段現在も牛天神は江戸時代と同じ場所にありますが富士の眺望は失われています。南側の石段は取り払われましたが現存する西側の石段が往時を忍ぶよすがとなっています。

長々と書き連ねたわりには説明をはしょり舌足らずになりましたが、まとめるとこのようになります。
葛飾北斎の名作「富嶽三十六景」中の「礫川雪ノ旦」は雪が降り積もった冬の朝に小石川牛天神から見える富士を描いた。左側に見える建物は牛天神境内の西側の崖に沿って並ぶ茶屋で眼下に流れる川は小石川上水か江戸川(現神田川)。


※『江戸名所図会』はちくま学芸文庫版(全8冊)が入手可能です。
牛天神
【小石川牛天神、北野神社のご案内】

 住 所 東京都文京区春日1-5-2
 電 話 03-3812-1862

 最寄駅 
 東京メトロ丸の内線・南北線「後楽園」徒歩10分
 都営地下鉄三田線・大江戸線「春日」徒歩10分
 JR中央線・東京メトロ東西線・有楽町線「飯田橋」徒歩10分

June 21, 2013

花まつり


いつもブログ『美術趣味』をご覧頂きましてありがとうございます。
梅雨に入りじめじめと蒸し暑い日々が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

ここ東京小石川では紫陽花の花が美しく咲き始め通り行く人々の心を和ませています。 花といえば文京区の代表的なイベント「文京 花の五大まつり」は区内に数多いお寺や神社の境内で開催されます。2月の梅まつり(湯島天満宮境内)に始まり、さくらまつり(播磨坂さくら並木)、つつじまつり(根津神社境内)、あじさいまつり(白山神社境内)、11月の菊まつり(湯島天満宮境内)までの5つからなるものです。

このほか今の季節ですと7月上旬に光源寺駒込大観音で「ほおずき千成市」が、7月下旬には徳川家ゆかりの伝通院や源覚寺(こんにゃく閻魔)境内で「文京朝顔・ほおずき市」が行われます。夏の到来を告げる素敵な催しですね。

【文京区内・7月の花まつり】

ほおずき千成市

開催日 7月9日()、10日(
※曜日を誤って表記しておりました。
 お詫びして訂正いたします。
会 場 駒込大観音光源寺
    東京都文京区向丘2-38-22


文京朝顔・ほおずき市

開催日 7月20日(土)、21日(日)
会 場 伝通院(朝顔市)
    文京区小石川3-14-6

    源覚寺(ほおずき市)
    文京区小石川2-23-1



【当社商品のご紹介】
さて今回ご紹介するのは、奥村土牛「朝顔」です。



togyu_asagao_gaku400pix.jpg


奥村土牛 《朝顔》
販売価格 99,750円(税込)


<仕様体裁>
技法 彩美版、本金泥手彩色
原画 華禽大塚美術館所蔵
技法 彩美版(R)
画寸 天地38.2cm×左右52.8cm
額寸 天地57.5cm×左右71.5cm
重量 約4kg
用紙 版画用和紙(鳥の子)
額縁 特製木製額、アクリル付(国産、ハンドメイド)


※「彩美版」は共同印刷株式会社の登録商標です。
※本作品は軸装仕様もございます。

April 25, 2013

小石川歴史散歩━手塚治虫「陽だまりの樹」の巻


「美術趣味」をご訪問いただきありがとうございます。
今年はマンガの神様、手塚治虫の記念イヤーであることはご存知でしたか?
代表作「鉄腕アトム」がアニメ放映50周年、「ブラックジャック」がマンガ連載40周年、そして「リボンの騎士」がマンガ連載60周年にあたっています。
記念イベントが各地で開催されていますが、東京では6月29日から9月8日まで東京都現代美術館(木場公園内)で「手塚治虫×石ノ森章太郎 マンガのちから」と題する展覧会が開催されます。是非足をお運びください。


播磨坂さて当社の西側に「播磨坂」という長い坂があり桜の名所として知られています。坂の名はこのあたりに屋敷を構えた常陸府中藩主・松平播磨守に因むものです。
手塚治虫の先祖は代々松平家に仕える藩医で、藩邸の傍当時「三百坂下通り」と呼ばれた道沿いに屋敷を構えていました。徳川家縁の名刹伝通院(でんづういん)の裏手にあたり、現在東京学芸大学付属竹早小・中学校の校庭の一部となっています。
三百坂下通り手塚治虫は「陽だまりの樹」という作品で医師・蘭学者として活躍した曽祖父・手塚良庵(良仙)光享の姿を活き活きと描きました。「陽だまりの樹」は昨年NHKのドラマ(BS時代劇)となりましたのでご覧になった方も多いことと存じます。原作のマンガは小学館文庫に収録されておりますので未だの方は是非お読みください。
良庵は大阪に上り緒方洪庵が開いた「適塾」という蘭学塾で学びますが同門の先輩に慶応義塾を創設した福澤諭吉がいました。諭吉の「福翁自伝」には良庵との交流に関わるいかにも若者らしい逸話が記されています。手塚治虫もずいぶん参考にしたそうです。「福翁自伝」は岩波文庫から出ておりますのでご興味のある方は是非お読みください。

当社周辺には歴史や小説の舞台となった場所が数多くあります。浅学ではありますが今後もエピソードを交え少しずつご紹介してまいりますのでご期待ください。


【展覧会情報】

「手塚治虫 × 石ノ森章太郎 マンガのちから」展

会場 東京都現代美術館
    東京都江東区三好4-1-1(木場公園内)
    03-5245-4111(代表)   03-5777-8600(ハローダイヤル)
会期 2013年6月29日(土)から9月8日(日)まで
休館 月曜(7月15日は開館)、7月16日

March 28, 2013

春爛漫、播磨坂の桜が満開です!


「美術趣味」をご覧いただきありがとうございます。
共同印刷のすぐそばの【播磨坂】沿いの桜並木は都内指折りの桜の名所です。
春爛漫、今なら満開の桜を見ることができます。
今年は例年よりも開花が早いようですね。
お近くにお寄りの際はぜひ春の息吹を楽しんでください。
なお、3月30日(土)、31日(日)の両日「第42回文京さくらまつり」が開催されます。


【播磨坂】はりまざか 
共同印刷前の「植物前」交差点から春日通りの「小石川五丁目」交差点まで到る長い坂です。
江戸時代、このあたりに水戸徳川家から分かれた松平播磨守(常陸府中藩)の屋敷がありました。



播磨坂の桜並木
桜の花
文京さくらまつり

プロフィール

共同印刷株式会社SP&ソリューションセンター アート&カルチャー部では、日本画を中心とした複製画や版画の制作、販売をてがけています。制作の裏側や、美術に関係したエッセーを続々とアップしていきます。尚、このサイトの著作権は共同印刷株式会社又は依頼した執筆者に帰属します。

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