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December 11, 2015

墨東の過去・現在・未来-永井荷風と藤牧義夫の視線


 「墨東」と呼ばれる隅田川の東側の地域、すなわち東京スカイツリーが聳える向島や本所・深川には江戸時代以来の運河がいく筋も流れ、そのこには大正末から昭和の初めにかけての震災復興事業で架けられたモダニズム様式による鋼鉄の橋が数多く残っています。

20151211sumidaandskytree.JPG 近未来的な超高層建築の代表とでも言うべき聳え立つ東京スカイツリーを背景として、下町が醸す江戸の残り香と鋼鉄の橋が映すモダン都市東京の残影が重なり合うこの地は、過去・現在・未来が溶け合った独特の風情を漂わせています。多くの芸術家がこの地に魅せられ、作品のモチーフとしました。

 例えば、東京小石川に生まれ育った「墨東奇譚」や「すみだ川」などの小説で知られる作家永井荷風(1879~1959)は、作品を通じて、失われゆく江戸の名残の欠片をひとつひとつ慈しむように拾い集めました。この地をモチーフにした随筆、「深川の散歩」、「元八まん」等では、新しい鋼鉄の橋が次々と架けられ、コンクリートの道路が作られるなど急速に江戸の風情を失いながらモダン都市へと変貌を遂げる東京を描きとどめました。当時五十代半ばであった荷風は、過去・現在・未来を重ね合わせ、その幻視を作品に描き留めた、過去へ向かう時の旅人だったのでしょう。

 一方、昭和初期の画壇に彗星のごとく現れ忽然と消えた天才的版画家、藤牧義夫(1911~1935失踪)もこの地に魅せられた芸術家の一人です。群馬県館林に生まれ育った藤牧は、十六歳で上京しデザイン会社に勤務する傍ら、表現主義的作風の版画作品で画壇に鮮烈な印象を与えました。1935年、弱冠二十四歳で失踪した彼の画業は四十年余り後、画廊「かんらん舎」の大谷芳久氏により再発掘されるまでほぼ忘れ去られていました。活動期間が極めて短いこともあり現存作品はわずかです。

20151211shirahige_bridge.JPG 私がその中で特に注目している作品が「絵巻隅田川」です。奇しくもこの作品は、荷風が随筆「深川の散歩」や「元八まん」を執筆したのと同じ昭和9年(1934)に描かれました。細い墨線による「白描」と呼ばれる技法を用い、白鬚橋から相生橋にかけての隅田川両岸の景色(注)を細部に至るまで克明に描写していますが、一見して見たままをただ写したように見えながら、映画の撮影技法にヒントを得たと思われる驚くべき奇想が隠されています。二十三歳の若き天才画家が胸に秘めた、情熱の火照りを今なお宿すこの絵巻は、一瞬にして私の魂を鷲掴みにしてしまいました。

20151211kiyosu_bridge.JPG 絵巻の冒頭に彼はこう記しています。

 「未来すみだ川 橋の発達によりて
 川の面は何十年後遂に覆はれ昔日のおもかげを
 偲ふ事不可能となるにや、余写生中
 この予感あり、幸いにいまだ橋少なし
 精出して写生を勉むべしとす
 昭和九年十月下旬考  義夫」


 隅田川両岸の景色が新たに架けられたモダンな橋梁により変貌を遂げたように、何十年後の未来は現在の景色を偲ぶことができないほど変化するであろうという予感を抱きつつ、写生に励んだという、制作中の藤牧の心境が書かれていますが、この絵巻を描くに至ったきっかけとなったのは、江戸時代の版画家、歌川豊春と葛飾北斎の作品であったことが指摘されています。

 藤牧もまた過去・現在・未来を重ね合わせた幻視を「絵巻隅田川」という作品に描き留めた時の旅人として、未来へ旅立ったのでしょうか。



(注)白鬚橋から三囲神社までを描いた完成作二巻と浜町公園から相生橋までを描いた試作とも言うべき一巻とに分かれ、前者は東京都現代美術館、後者は館林市立資料館に所蔵されている。


20151211sumida_river_shirahige.JPG


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