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October 31, 2014

自転車散歩-江戸の風情が残る行徳界隈


 自転車を使った気ままな散歩、ポタリングが人気を集めている。江戸川を挟み東京に隣接する千葉県の行徳(ぎょうとく)はかつて多くの旅人が行き交い繁昌した宿場だった。自転車ならではの機動性を活かし江戸の風情が今も残る行徳の町を散歩してみた。



gyoutoku_benten201410.JPG 浦安市に隣接する市川市行徳地区は地下鉄東西線が開通して以来東京のベットタウンとして発展し駅の南側(海側)に向かって新しい街並が拡大している。バードウォッチングが好きな方であれば海側に宮内庁の新浜鴨場(御猟場)と市川野鳥の楽園があることをご存知であろう。東京ディズニーランドや葛西臨海公園にもほど近い。新興住宅地のイメージが強いが、本来の行徳は駅北側の旧江戸川と並行する行徳街道(県道6号線)沿いの本行徳を中心とした地域で、今も江戸の風情を残す古い町屋や社寺、古祠が多く残る。海側には、かつて遠浅の干潟を利用した大規模な塩田があった。駅前の弁天公園のあたりは弁財天を祠る鎮守の森で江戸時代は小島であったともいわれる。

 行徳は江戸から房総、常陸(現在の茨城県)方面への旅の起点となり多くの旅人や物資が行き交う交通の要所であった。今で言えば首都圏観光ガイドにあたる江戸時代末期に出版された『江戸名所図会』※には当時の行徳の賑わいが以下のように記されている。

 『行徳船場 大江戸小網町三丁目行徳河岸といえるより此地まで船路三里八丁あり。房総の駅路にして旅亭あり。故に行人絡繹(こうじんらくえき/「路行く人の往来が絶えない様」の意)として繁昌の地なり。殊更(ことさら)正五九月(1月、5月、9月)は成田不動尊へ参詣の人夥しく賑い大方ならず。』(「江戸名所図会」第7巻)

※江戸名所図会(えどめいしょずえ)
全7巻。1~3巻は天保5年(1834)、4~7巻は天保7年(1836)の刊行。江戸神田雉子町の名主を務めた斎藤長秋、莞斎、月岺の親子三代により編纂され、月岺が刊行した。挿図は長谷川雪旦。江戸文化の研究者必携の名著とされる。ちくま学芸文庫に収められているほか、原本は国立国会図書館デジタルコレクションに収録されインターネットで一般に公開されている。





常夜灯
gyoutoku_jouyatou201410.JPG 江戸市中には縦横に運河が張り巡らされ水運が盛んであったから、船を使う行徳経由のルートは人気が高く江戸から成田山新勝寺へお参りする人々で大いに賑わった。船着場の新河岸跡には『江戸名所図絵』に描かれた江戸末期、文化九年(1812)の常夜灯(市川市指定文化財)が今も残り周辺は公園として整備されている。この行徳ルートを開いたのは徳川家康と言われている。家康は新たに小名木川と新川という二つの運河を開削し日本橋と行徳の間を直接船でつなぐルートを設けた。行徳は古くから製塩業が盛んで家康は軍事的見地からこれを重視し厚く保護したと言われる。



笹屋うどん跡
sasaya_201410.JPG 当時行徳名物として親しまれたのは新河岸からほど近くの行徳街道沿いにあった笹屋うどんである。『江戸名所図絵』行徳河岸の挿絵にも「名物さゝやうんとん(饂飩)」と描かれている。笹屋のいわれは、「石橋山の合戦に敗れて安房へ落ち延びる途上行徳に着いた源頼朝一行を、うどん屋の仁兵衛がうどんでもてなし、頼朝から源氏の家紋「笹竜胆」を拝領し以後屋号を「笹屋」としたと伝えられる。残念ながら廃業して久しく、名物うどんがどんなものであったかはわからないが※、江戸時代の建物や太田南畝の筆になるという看板が今も大切保存されている。(看板は市川歴史博物館に展示)
※看板には「御膳ほしうどん」と書かれており、干麺を使ったものであったようだ。



徳願寺
tokuganji_201410.JPG 「行徳千軒寺百軒」といわれるほど数多い寺院を代表するのは、寺町通りにある徳願寺だろう。同寺は家康の帰依を受けて慶長十五年(1610)に開創され四百年余の歴史を持つ。本尊は運慶作と伝える阿弥陀如来像で江戸城に祀られていたものを当寺に移したといわれる。現存の山門と鐘楼は安永四年(1775)の建築でこちらも市川市指定文化財となっている。



成田道(なりたみち)
teramati_st_201410_02.jpg 江戸から成田方面へ向かう道には、千住、小岩を経て江戸川を船で渡り現在の千葉街道(国道14号線)を通り市川、船橋を経由して成田街道(国道296号線)へ抜ける陸側のルートと、日本橋小網町(現在の箱崎付近)行徳河岸から行徳の新河岸まで船を使い、行徳から船橋までは現在の「寺町通り」や県道179号線を経由して船橋に至る海側のルートがあり、どちらも「成田道」と呼ばれた。(両者は船橋宿の入口で一つに交わる。)



権現道(ごんげんみち)
gongenmiti_201410.JPG 行徳街道と並行するように行徳地区を縦断する「権現道」と呼ばれる狭い路地は、東金御殿へ向かう家康が通ったと言い伝えられている古道だ。行徳街道成立以前からあったといわれ、この道に沿って多くの寺社や小祠が立ち並ぶ。
 古い歴史を持つ道だが地域住民にとっては今も大切な生活道であり、車が行き交う表通りを避けてこの小路を利用する方が多いようだ。







 日本橋から行徳までは地下鉄東西線で20分余り、都心から近く手軽に楽しめる行徳はお勧めだ。行徳駅や一つ隣の南行徳駅に置かれている無料のレンタサイクルが利用できる。また市川市が作成した「歴史的街並の散歩道」と題するガイドマップを是非携帯したい。イラストで描かれた地図には見どころが満載されている。市川市役所文化振興課で無料配布されているほか市川市のホームページからダウンロードすることもできるので是非活用されたい。



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